田中三郎の日記

大正12年から13年の日記。横浜における関東大震災そして東京移住・東京音楽学校・大正時代の市井の人々の生活。

『それは丘の上から始まった』

157.『それは丘の上から始まった』を読む―田中三郎の日記と照らし合わせて。序

(2023年10月20日投稿) 2023年は関東大震災から100年目の節目の年となりました。これに合わせて、それまで調査、研究されてきたことが新聞やテレビ、各機関が発表したウェブサイトなどで発表されました。関東大震災での流言飛語を題材にした映画も公開され…

158.『それは丘の上から始まった』を読む―田中三郎の日記と照らし合わせて。1

(2023年10月8日投稿) 2023年9月、『それは丘の上から始まった』という本が出版されました。 後藤周著:加藤直樹編『それは丘の上から始まった』ころから 2023年 korocolor.com 2023年はあの関東大震災から100年。いろいろな検証が多く行われ、関東大震災時…

159.『それは丘の上から始まった』を読む―田中三郎の日記と照らし合わせて。2 三郎氏は横浜第一中学校に避難をする。

(2023年10月9日投稿) (続き) 田中家に関係するのは戸部警察署。 地震直後は半壊。しかし1日午後4時に焼失。焼失までに時間があったので、重要書類を搬出した上で、藤棚派出所に署員一同で避難。(49ページ) そして田中家の人々の動き。 田中家は御所山…

160.『それは丘の上から始まった』を読む―田中三郎の日記と照らし合わせて。3「朝鮮人が攻めてきた?」

(2023年10月10日投稿) 9月2日昼過ぎにとんでもない事件が横浜第一中学校にて発生したのです。 三郎氏は書きます。 「昼過ぎ、朝鮮人が数名校庭に現れ、我々に乱暴をした。第三の恐怖がこれである。彼等鮮人は武器こん棒を持ち、およそ数名、体をなして乱暴…

161.『それは丘の上から始まった』を読む―田中三郎の日記と照らし合わせて。4 流言は北部丘陵地、そして東京まで広がる。

(続き) 2023年10月11日投稿 そしてあくる朝2日午前10時ごろ、伊勢佐木署で「不逞鮮人襲来し、強盗、強姦、放火、略奪等を敢行」という流言が伝わる。 2日午前11時ごろ、山手本町署、戸部署に流言が伝わる。自警団が組織される(33ページ表より) 朝日新聞…

162.『それは丘の上から始まった』を読む―田中三郎の日記と照らし合わせて。5 戸部警察署と横浜第一中学校校舎

(2023年10月12日投稿) さて、虐殺の急速な拡大を推し進めたのは何だったのか?(45ページ) ①流言が伝えられるうちに強力なものになっていった。 流言は「いつ、どこで、どんなことがあったのか」という具体的な内容を持った。すでに知っている確実な情報…

163.『それは丘の上から始まった』を読む―田中三郎の日記と照らし合わせて。6 何故三郎氏はあの情報を信じてしまったのか?

(2023年10月13日投稿) 横浜第一中学校では、校舎の中には戸部警察署と、保護された朝鮮人たち。校庭には「不逞鮮人あらば殺害する」といきり立つ自警団がいる避難民。そこは叫び声と銃声が鳴り響き、大混乱の極みであったことがわかりました。 この大混乱…

164.『それは丘の上から始まった』を読む―田中三郎の日記と照らし合わせて。7。大正12年9月3日中国人?が殺されるのを見る。1

(2023年10月14日投稿) 「田中三郎の日記」本文では、画像で出したのですが、こちらでは一部翻刻します。 「時に2人の者、多勢に縛られて来る。余は彼ら両人を見たるに鮮人に非ずして、支那人なり。しかるに大勢の魚河岸連、在郷軍人連は警官の言うも聞か…

165.『それは丘の上から始まった』を読む―田中三郎の日記と照らし合わせて。8。大正12年9月3日中国人?が殺されるのを見る。2

(2023年10月17日投稿) 支那人(中国人)と思われる人を襲っていたのは、魚河岸連と在郷軍人と書いてあります。魚河岸というのは魚市場のことですが、大雑把に考えて「日本人労働者」だったかもしれません。 この『それは丘の上から始まった』に書いてある…

166.『それは丘の上から始まった』を読む―田中三郎の日記と照らし合わせて。9.東京に向かう途上で1.

(2023年10月18日投稿) 田中家の人々は3日、横浜を出発。東海道本線の線路の上を歩きながら、東京を目指しています。 三郎氏の日記より。 「横浜駅もめちゃめちゃになり、駅前の惨状は目も当てられず、電線は往来に落ち、人々の通行を苦しめていた。又、半…

167.『それは丘の上から始まった』を読む―田中三郎の日記と照らし合わせて。10.東京に向かう途上で2

(2023年10月19日投稿) 9月2日昼頃、例の「朝鮮人暴動」の流言が鶴見にも伝わりました。伝えたのは横浜方面から東京方面に避難する人々。東海道沿いの町々もあっという間に「流言」が広まっていったそうです。 渡辺歌郎という医師で、町議会議員がいました…

168.『それは丘の上から始まった』を読む―田中三郎の日記と照らし合わせて。11 ライムスター宇多丸氏が書いた本の帯

(2023年10月20日投稿) この『それは丘の上から始まった』の本に、本を紹介する帯がついていました。帯には紹介文がびっしり書かれています。書いたのはラッパー兼ラジオパーソナリティのライムスター宇多丸という人です。 一部をご紹介します。 colobooks.…

169.(余談)2023年11月、横浜にあった元田中家に行く。

(2023年12月28日記) 1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の日まで、三郎と家族は神奈川県横浜市西区に住んでいました。現在、そこの最寄り駅は市営地下鉄高島町駅、京急本線戸部駅といった所。、横浜からバスの便もあるようです。 田中三郎の日記には、…