田中三郎の日記

カテゴリーに月ごとに分類してあります。カテゴリーをクリックしてから入ると読みやすいと思います。

旧制武蔵高等学校

14.大正12年10月7日から10月11日まで。規矩士武蔵高校に出校。共益商社の富永氏に会いに行く。

(多忙だったようで1か月空いてしましました。この後はコンスタントに日記をつけています) 「10月7日(日)曇り 本日役場吏員原小学校に出張して救助米を受くべき避難民の貧富の程度につき質問す。結果余の分は削られて父母2人分となる。救助米件は役場3時…

18.大正12年10月21日 共益商社仮事務所にピアノの催促をする 横浜の旧宅を見に行く 西川楽器にもピアノ入手の算段をしに行く

「10月21日(日)晴 朝、規矩士兄と共に水神下の共益商社仮事務所に行き、富永氏に会いてピアノの催促をせんとせしも不在にて如何とも出来ず。 それより大森駅に居たり8時56分の横浜行きに乗る。往復57銭。(京浜間の電車は今日より25分おきに出る。震災以来…

21.大正12年10月28日から10月31日まで。ピアノ入手!調律の板倉氏が来る

「10月28日(日)曇り 午前中敬一兄、姉と共に大仏方面に散歩す。その時、震災秘密写真3枚(洲崎の死体、被服廠の死体)を50銭で一車夫より買う。右は実に恐ろしき光景にて、記念とすべきに足るものなり。」 残酷というか悲惨な写真をついつい見たくなるのは…

22.大正12年10月までのまとめ。

(附) 月日の経つのは早いもので震災以来二か月の星霜は過ぎた。顧みるに我が乞食となりてより、色々困難をなし、又、色々の経験をしたが、これ皆修養の一部分となった。帰って愉快である。一方震災当時は手に文庫と用箪笥んも一引き出しを持つに過ぎなかっ…

29.大正12年11月24日から30日まで。規矩士は女子音楽園でも教えていた?黒澤氏が訪ねてきた。

11月24日(土)雨 午前中、父は大貫氏(英和幼稚園裏)に行く。鶴見の副島、稽古に来たる。 昼頃隣の後藤氏、大工を連れて家に来たり。壁の様子を見る。その時父は、風呂場設置の件を話す。 いよいよ高等師範の試験(1月8日より5日間)が近づいた。この頃の…

37.大正12年12月27日(続き)から12月28日まで。虎ノ門事件。武蔵高校の英語教師バレリー氏より規矩士兄に靴下をクリスマス進物として送らる。

12月27日の日記の続きです。 「敬一兄の買って来た新聞によると(東京にては号外出る由) 今朝開院式に行啓の途上に摂政宮殿下を狙撃す。突如怪漢数名虎ノ門に現れ殿下はご無事。(午後1時宮内省公表) 今朝摂政殿下議会開院式に行啓の御途中午前10時40分虎…

39.大正13年1月1日から1月2日まで。お正月。

100年前の東京でのお正月。100年後のお正月。 国旗を掲揚する家はほとんど見かけなくなりました。(ウチの近所だけでしょうか?) ラジオもテレビもネットもないから、家族一同でお祝いをしたり、近所に年賀に行ったりするお正月。年賀に家を訪問する方もい…

44.大正13年1月15日。関東大震災の最大余震丹沢地震発生!

「1月15日(火)曇り 忍耐は金の成る木 朝、6時少し前、近頃にない激震があった。余は未だ熟睡中であったが、地震と同時に跳ね起き、勝手口の錠をとり、ただちに門を開けて戸外に出た。父もまた、余の後ろに来た。規矩士兄、母は奥の六畳間より庭に出た。敬…

50.大正13年1月21日から1月22日 寒いので病人多し2

1月21日(月)晴 労働は神聖なり 敬一兄は未だ腹が痛まず、足部が冷えるのでカイロを入れる。熱は37度6分。少しある。規矩士兄は月島第二(青山2864)へ電話をかけ、缶欠する旨を伝えしむ。(病欠をするという電話をしたんだと思います)東京音楽学校の電話…

51.大正13年1月23日 寒いので病人多し3

「1月23日(水)晴強風 辛抱は宝なり 敬一兄、朝の温度は37度。大分下がる。葛湯を飲む。竹須虎之助氏、一寸見舞いに来たる。余の風邪は未だ痰が出る。敬一兄、正午における温度は37度。小便赤く濁れり。安静にしている。昼食は餅の粥を余等は食す。父、昼…

52.大正13年1月24日から1月25日まで 寒いので病人多し4

「1月24日(木)晴 風 今朝は猛烈に寒く、井戸に氷が張った。故に天然の氷が出来たわけだ。敬一兄は気分益々良く、6時における体温36度7分。9時には36度1分となった。余は牛乳2合(20銭)と片栗粉を買いに行く。10時に敬一兄、牛乳にコンスタチーを混ぜて飲…

57.大正13年1月26日5、1月27日、1月28日  寒いので病人多し5

1月26日の続きです。 「朝、9時頃起きた。丁度海の方で皇礼砲が轟いていた。品川湾に軍艦が来ているのだ、また10時過ぎにも鳴った。なんとなく遠くの方で花火の音がするので賑やかな感じがした。規矩士兄は武高の式に出席し12時に帰る。亀屋にてジャム食パ…

58.大正13年1月29日から1月30日まで。寒いので病人多し6 体温計壊れる

1月29日(火)曇り 風 11時ごろ起きた。府川氏より頼んであった母の新調の着物、出来て来たる。敬一兄、正午の温度36度2分。規矩士兄は武高日なり。母は洗濯で忙しい。数日湯に入らぬので、身体が痒くなる。午後、竹須龍之助来たる。氏は明朝早く豊橋の二十…

66.大正13年2月19日から2月21日 規矩士はピアノ練習。敬一は作曲。

「2月19日(火)晴 曇り夜遅く小雨 規矩士兄は武高日なり。朝は未だ霜柱が立ち寒い。敬一兄は8時半に家を出る。今朝、阪川牛乳商店という者、見本に牛乳1本を家に入れてゆく。また、天業民報社より新聞を持って来る。2銭で買う。例の田中智学氏一派の言説で…

68.大正13年2月24日から2月25日 祖母の祥月命日。火災保険の話題。

2月24日(日)晴 微風 朝2時半ごろ半鐘が盛んに鳴っていた。風があるので心配したが、遠いらしい。貯金局より確認書来たる。午前中西村、岡3人稽古に来たる。また市川氏も来たる。今日もまた一段と寒い。家内に乾かしてあった甘いかき餅が、ほとんど固くなっ…

69.大正13年2月26日 1 三郎氏は火災保険の話題が興味津々

2月26日(火)晴 未だ寒さが治らず。今日は規矩士兄は武高日である。伊勢四日市に居る梶浦氏(以前ピアノ弟子)より、時候見舞の手紙、規矩士兄に来たる。また、明日より音楽学校にて学友会音楽会のオーケストラ練習練習をする旨の通知あり。火災保険の問題…

73.大正13年3月4日から3月6日まで。規矩士兄は武蔵のバーグレートという先生から靴下をもらう。規矩士兄の武蔵高校での給料アップ。田中家では『ああ無情』が流行っているようです。

「3月4日(火)曇りのち晴れ 規矩士兄は高校日(多分武高日)で、朝早く出校す。父は11時頃横浜に行く。余はますます良くなる。敬一兄はいつもより早く4時頃帰宅す。身体が疲れる由。本日午後、簗氏に来たる乳屋の牛乳をとり、2,3日配達せんことを命ず。1…

76.大正13年3月10日から3月11日まで。床補強をする。武高では唱歌の試験があった。

「3月10日(月)曇り風のち晴 規矩士兄は本日もまた音楽学校の試験により朝早くから出校す。分教場の方も本日試験の由。朝、珍しく大工、職人を一人連れて来たる。早速グランドピアノを設置するに付き床下を修繕してもらう。また敬一兄は大工に本箱を頼む。…

77.大正13年3月12日から3月14日まで。敬一兄も規矩士兄も音楽活動盛んです。

「3月12日(水)晴 曇り夜小雨 朝、余は洋服屋に敬一兄の洋服の催促に行く。それは14日に月島校に学芸会があるので、それに間に合わせる為であるから。父の温度は6時に37度だ。重湯を飲む。青山学院に入学申込書願中の戸籍抄本の代わりに市長の証明書を代用…

80.大正13年3月17日から3月18日まで 大震災善後会から慰問金が来る。ベヒシュタインのあるレッスン室でのレッスン開始。

3月17日(月)晴 風 東京海上保険会社(東京都日本橋区呉服町18番地エンパイヤビルジング3階)に加入する旨の手紙を出す。 (この後、東京音楽学校の入学案内の写しがあります。参考のために写すと書いてあります。) 本日は音楽学校入学予備試験にて、規矩…

81.大正13年3月18日から22日まで。ピアノに保険をかける。

「3月19日(水)晴 規矩士兄、午前中ピアノ練習す。東京海上の社員が来たが、ピアノの真買の証明書がないため、契約することが出来ず、更に明日来ると約す。今度の震災にて評判良くなったので、鼻息が荒い。規矩士兄は午後、音楽学校にてオーケストラ練習が…

83.大正13年3月26日から29日まで。武高の田村教授の話。豊増昇が東京に戻ってきた。

三郎氏の青山学院の入試が近づいてきました。今度は「日記」という現実逃避をやめにして勉強に励んでいるようです。日記の文章が短い。ガンバレ三郎さん! 「3月26日(水)雨 朝早く、伏島氏稽古に来たる。関鑑子氏の弟、二人にて規矩士兄に演奏会の伴奏を頼…

86.大正13年4月7日から4月12日まで。武高新学期。高崎の音楽会。稽古日なのに誰も来ない。メートル法のイベントに行った。

三郎氏は勉強を頑張りだしたらしく、記述が短くなっています。 「4月7日(月)雨のち曇り 午前中、余は独習。午後正則。定期を買う。3か月。学生券で9円50銭である。帰りにゴールドスミス・アンド・バイロンおよび英作文資料を買う。夜、湯に入る。 4月8日(…

87.大正13年4月13日から4月16日まで。神中の追悼会。音楽学校始業式。そして平穏な日々。

「4月13日(日)雨 規矩士兄は午前中東京に行ったが、午後は神中同期生の追悼会(9月1日の)が神奈川の勤行寺にあったので、それに出席す。片山先生始め、30名近くのクラスの人、来たる由。父は大井役場の前の杉江代書人方に行く。夜、湯に入る。父は竹須方…

90.大正13年4月21日から4月24日まで。規矩士兄はムンツのリサイタルに日参中2

4月21日(月) 今日は母、杉田に行く。余は学校に行く途中、帝国ホテル演芸場にて、規矩士兄のため、明日の音楽会入場券を買う。午前中洋服屋のかみさん来たる。夕方東京高等学校生徒来たる。 この日はムンツ氏のリサイタルはお休みのようです。そして三郎氏…

93.大正13年5月4日から5月6日まで。特種回数券。共益商社よりグランドピアノの椅子が来る。久しぶりに横浜へ。

5月4日(日)曇り 朝早く、余は洋服屋に夏服地をもって来るように頼む。洋服屋、来たる。敬一兄は月島校同窓会につき、出席す。午前中、竹須、後藤方におかしわ(柏餅だと思います)をあげる。規矩士兄はピアノ練習す。午後、父、規矩士兄、散歩に出る。夕方…

95.大正13年5月13日から5月19日まで。蚊が出て来たので蚊取り線香で退治。イチゴの季節となったのでイチゴミルクを食べた。平穏な日々。

「5月13日(火)晴 規矩士兄は武高日。余は正則の帰り、神田にてだんごを買って来たり。竹須方に分ける。30銭買ったのだが、たくさん来た。いよいよ蚊が出始めた。蚊取り線香で退治する。本日も母、灸をすえる。夜、余は幼児にて立会原まで行く。父は竹須さ…

96.大正13年5月20日から5月24日まで。武高の一木校長の慰労会中止。アメリカから飛行機が来た。生徒さんからイチゴやバラいただいた。蚊帳の用意。

「5月20日(火)曇りのち大雨 正午、余が正則に行く時、大雨であった。夜、虎之助氏、蚊帳の見本を持って来たる。本日は武高の一木喜徳郎氏の慰労会が精養軒であるとことであったが、中止となった。父は茶の間の障子を貼り替える。足立先生より礼状来たる。…

97.大正13年5月25日から5月27日まで。武高の一木校長の慰労会開催。気候が良いので銀ブラ。コスモスを植えた。月桂樹が芽を吹いた。海軍軍楽隊演奏会。

5月25日(日)晴 朝、洋服屋、敬一兄の仮縫いを持って来たる。その際、ピアノカバーを頼む。規矩士兄は上野の歯医者に行く。11時半ごろ、吉川重信君、来訪さる。氏は金沢に徴兵検査を受けに行ったと、第一乙種の由。昼食を馳走す。ちょうど昼頃、小微震あり…

99.大正13年6月1日から6月4日まで。三郎の通う予備校「正則英語学校」について

「 6月1日(日)曇午後雨 忍耐は金の生る木 午前中、時澤(妹)、豊増、鳥井、岡3人来たる。また新たに田崎と言える人、子どものピアノ教授を願いて来訪。亀屋の菓子を下さる。正午、規矩士兄は出校。午後、父、敬一兄は馬込に散歩に出る。規矩士兄の留守…