田中三郎の日記

カテゴリーに月ごとに分類してあります。カテゴリーをクリックしてから入ると読みやすいと思います。

序文・余談

1.田中三郎の日記 序

田中三郎の日記。大正12年9月1日から大正13年にかけて。 すべての翻刻が終了し、日記全部を公開いたしました。(2023年12月17日記) 田中三郎 1903年(明治36年)横浜生まれ。 神奈川県立第一横浜中学校を卒業。この当時は上級学校進学のために家にいまし…

113.(余談)西洋菓子店「亀屋」の謎

三郎氏の日記には「亀屋」の西洋菓子というものがよく出てきます。 この「亀屋」の支店は大森にもあったようで、石鹸を買ったという記述もあります。 大正13年8月1日には規矩士兄が「亀屋にてコーンビーフを買う」という記述もありました。 この亀屋って? …

150.あとがき1.

2023年2月17日より書き綴ってきた三郎さんの日記はこれで終わりです。 この間、中の人は三郎さんの日記と一緒に暮らしました。 とっても楽しかったです。 この日記はあの関東大震災から始まりました。被災地の悲惨な状況。胸に迫りました。その中で線路を歩…

151.あとがき2

さて、三郎さんのこの日記は、元の日記があったのでは?と思います。それを何かきっかけがあって清書したのでしょう。きっかけは何かはわかりません。 そしてこんな奥付まで書いているのです。 ふと思ったことです。これを何かで発表したかったのでは? 「関…

152.家族の年賀状リスト1 田中敬一の年賀状リスト1

敬一兄が出した年賀状リスト。 リストに肩書が書いてあった人はそのまま書きました。あとはGoogle検索をしました。見つからなかった方は住所だけ書きました。検索をしてたくさんリンクがあったような有名人はリンクを貼りませんでした。リンクが貼ってある方…

153.家族の年賀状リスト2 田中敬一の年賀状リスト2

敬一兄が出した年賀状リスト2。 リストに肩書が書いてあった人はそのまま書きました。あとはGoogle検索をしました。見つからなかった方は住所だけ書きました。検索をしてたくさんリンクがあったような有名人はリンクを貼りませんでした。リンクが貼ってある…

154.家族の年賀状リスト3 田中規矩士の年賀状リスト

規矩士分 足立やす(音楽教育者?三郎氏の日記に「横浜高等女学校」の先生として登場する) 田島貞治(住所神奈川県青木町) 酒井悌(チェリスト?東京音楽学校卒?1919年7月5日 学友会第二十六回土曜演奏会で共演) 須藤求(住所神奈川県横浜市) 福井直秋…

155.三郎氏の記録する「田中家蔵書目録」1

英語と思われる洋書が含まれています。 筆記体なので中の人が今一つ読み切れないので、画像で出します。

156.三郎氏の記録する「田中家蔵書目録」2

画像で出します。 蔵書ですが、教科書系、啓蒙書系が多く、小説系は少ないようです。

169.(余談)2023年11月、横浜にあった元田中家に行く。

(2023年12月28日記) 1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の日まで、三郎と家族は神奈川県横浜市西区に住んでいました。現在、そこの最寄り駅は市営地下鉄高島町駅、京急本線戸部駅といった所。、横浜からバスの便もあるようです。 田中三郎の日記には、…

129.余談・補遺1 「NHKスペシャル|「映像記録|関東大震災 首都壊滅の三日間」(2023年9月3日)

2023年9月3日、NHKで放送された 「NHKスペシャル|「映像記録|関東大震災 首都壊滅の三日間」という番組を見ました。その中で三郎さんの長兄、敬一兄が勤務、地震の時にそこにいたと思われる月島の様子(月島第二小学校に勤務していました)や、 あの大災害…

122.(余談)あれから100年経ちました。関東大震災2

明くる9月2日、夜が明けたので三郎さんは自宅に戻っています。しかしそこは焼け野原となっていました。 家にあったベヒシュタインピアノとヤマハグランドピアノ、蓄音機、レコード70枚、音楽関係の原書全て灰になってしまいました。 長兄も次兄も東京音楽学…

121.(余談)あれから100年経ちました。関東大震災1

1923年(大正12年)9月1日から100年目の今日 ちょうど100年前、関東大震災がありました。 www.bousai.go.jp 発生時刻は11時58分。 震源地は相模湾北部。相模トラフを震源とする海溝型地震。 地震の規模を表すマグニチュードはM7.9。 死者約10万5千人。この…