田中三郎の日記

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音楽の話題

9.大正12年9月2日 2 ヤマハグランドピアノとベヒシュタインピアノ、蓄音機、レコード70枚、和声学原書が灰になる。

9月2日の日記には重要なことが書いてありました。 「さて、我が家を見ればどこが境界やら解らず。哀にもベヒシュタイン、ヤマハグランドピアノの2台は針金のみとなっていた。ああ、残念なる。あのビクター蓄音機及びレコード70数枚、又敬一兄の和声学原書、…

14.大正12年10月7日から10月11日まで。規矩士武蔵高校に出校。共益商社の富永氏に会いに行く。

(多忙だったようで1か月空いてしましました。この後はコンスタントに日記をつけています) 「10月7日(日)曇り 本日役場吏員原小学校に出張して救助米を受くべき避難民の貧富の程度につき質問す。結果余の分は削られて父母2人分となる。救助米件は役場3時…

16.大正12年10月13日から10月14日まで 日比谷に軍楽隊の演奏会を聞きに行く

「10月13日(土)晴 朝早く、父、敬一兄は生麦の海老塚氏を訪れ、洋服のことにつき相談す。9時半より規矩士兄と共に馬込村を経て池上本門寺に至る。本門寺は今年の式を無期延期する由。しかし会式のあくる日のこととでかなり賑やかな人出であった。帰りは池…

17.大正12年10月15日から10月20日まで 規矩士は震災以来初の東京音楽学校に出勤。豊増昇の手紙

「10月15日(月)曇り小雨 規矩士兄今日より上野音楽学校に出校。(東京音楽学校) 竹須氏役場の様にて来たり。家族の貧富の様子を調査さる。午後よりまた来たり。盆二枚下さる。時澤、内田、角蔵氏より無事の返事来たる。内田氏は大阪のセルフレザー会社に…

18.大正12年10月21日 共益商社仮事務所にピアノの催促をする 横浜の旧宅を見に行く 西川楽器にもピアノ入手の算段をしに行く

「10月21日(日)晴 朝、規矩士兄と共に水神下の共益商社仮事務所に行き、富永氏に会いてピアノの催促をせんとせしも不在にて如何とも出来ず。 それより大森駅に居たり8時56分の横浜行きに乗る。往復57銭。(京浜間の電車は今日より25分おきに出る。震災以来…

19. 大正12年10月22日から10月24日まで。規矩士は黒澤家を訪問する!

「10月22日(月)曇り 吉川君10時頃遊びに来たる。氏は家族一同と横浜出帆の大洋丸にて神戸に行き、それより郷里の金沢に帰りしも、一昨日また母と2人して大森の父の立ち退き所に戻りし嘉、いろいろ避難についての怖ろしき、あるいは面白き話あり。神戸は避…

20.大正12年10月25日から10月27日まで。ピアノが手に入らない。黒澤氏が見舞いに来る。

「10月25日(木)曇り夜小雨 朝早く竹須氏来たり。大井町宮本組合にて避難民慰安会を鹿島神社境内で挙行し、その際音楽もしたき旨、話あり。午後、原小学校に救助米を受けに行く際、山川氏の末子に会う。山川氏一同は震災後徒歩で野宿をして、二宮の別邸に行…

21.大正12年10月28日から10月31日まで。ピアノ入手!調律の板倉氏が来る

「10月28日(日)曇り 午前中敬一兄、姉と共に大仏方面に散歩す。その時、震災秘密写真3枚(洲崎の死体、被服廠の死体)を50銭で一車夫より買う。右は実に恐ろしき光景にて、記念とすべきに足るものなり。」 残酷というか悲惨な写真をついつい見たくなるのは…

22.大正12年10月までのまとめ。

(附) 月日の経つのは早いもので震災以来二か月の星霜は過ぎた。顧みるに我が乞食となりてより、色々困難をなし、又、色々の経験をしたが、これ皆修養の一部分となった。帰って愉快である。一方震災当時は手に文庫と用箪笥んも一引き出しを持つに過ぎなかっ…

23.大正12年11月1日から11月4日まで。規矩士自宅レッスン再開

「11月1日(木)晴 9時半ごろ父と共に生麦新住宅地国道筋の永楽銀行の仮事務所に行き、規矩士兄の貯金、約280円を払い戻す。母の分は印を焼失の為、約一週間後に支払う由。銀行金の話によれば横浜支店は支店長外4名の事務員全部圧死せりと。それより生麦停留…

25.大正12年11月7日から8日まで。規矩士は聖心女学校のピアノ判定をする。父、敬義は恩給支払いの手続きをする。

「11月7日(水)曇り雨 朝、神中に学業成績書を請求す。午後より父は竹須夫妻と共に、三木邸隣の平林方の菊を見物に行く。帰りに竹須細君一人、家に寄る。そしてピアノを見る。本日敬一兄は月島小学校より雑記帳2冊、ゴム消し3個、鉛筆3本の慰問品を受く。京…

27.大正12年11月16日から18日まで。旧被服廠跡にて。風呂を作ろうか?

「11月16日(金)晴 8時より出京す。勿論往復徒歩す。途中南品川の医者にて、身体検査書をとる。 例によって改正道路を品川に進み、三田に折れて赤羽橋を渡り、芝公園を過ぐ。この時、飛行船飛来し来たる。 東京ももはや大分復興して、店頭に旗を出し、看板…

29.大正12年11月24日から30日まで。規矩士は女子音楽園でも教えていた?黒澤氏が訪ねてきた。

11月24日(土)雨 午前中、父は大貫氏(英和幼稚園裏)に行く。鶴見の副島、稽古に来たる。 昼頃隣の後藤氏、大工を連れて家に来たり。壁の様子を見る。その時父は、風呂場設置の件を話す。 いよいよ高等師範の試験(1月8日より5日間)が近づいた。この頃の…

31.大正12年12月1日から7日まで。風呂場完成。敬一兄快癒。

「12月1日(土)晴 午前中規矩士兄は三田に音楽書を買いに行く。竹須氏来たり。掛物を取り換える。本日壁屋来たり。壁の下塗り直す。あいにく父が少し風邪をひいたため、塵埃甚だしいので困る。夜、薬をとりに行き、帰りに竹須方の湯に行く。永らく入らなか…

34.大正12年12月16日から21日まで。たなかすみこから手紙が来た。父、敬義氏がピアノを教える。ベートーヴェントリオ旗揚げ?

「12月16日(日)晴 朝、規矩士兄は、旧2等汽車乗車券再交付に付き、横浜駅出札掛より通知の手紙来たりしより横浜駅に行く。新聞によると火災保険支払いの件は、1割に決定の由、規矩士兄の再交付券は3円の手数料を取られ、来年の2月15日に延期されたりと。規…

35.大正12年12月22日から24日まで。共益商社よりピアノが来る。ベートーヴェントリオの高階氏ドタキャン騒動(-_-)

12月22日(土)雨曇り 朝、山川氏、音楽会の切符(2枚)をとりに来る。副島、露木氏ピアノ稽古をなす。副島氏歳暮に砂糖を下さる。本日は音楽学校の学友会音楽会にて規矩士兄は10時ごろ出校す。 共益商社よりピアノ、椅子来たる。2時頃本牧のおじさん訪れる…

36.大正12年12月25日から27日まで。時澤さん共益商社から1500円のピアノを買う。小山作之助氏。田中家の電気料金の話。

「12月25日(日)晴夜風 午前6時頃、南品川青物横丁に火事あり。半鐘盛んに鳴る。余は鹿島谷派出所まで見に行ったが、火煙は見えなかった。これが大井町に来ての最初の火事である。敬一兄は朝、竹須氏の紹介で牛込の林歯科医に歯の治療に行く。規矩士兄は相…

37.大正12年12月27日(続き)から12月28日まで。虎ノ門事件。武蔵高校の英語教師バレリー氏より規矩士兄に靴下をクリスマス進物として送らる。

12月27日の日記の続きです。 「敬一兄の買って来た新聞によると(東京にては号外出る由) 今朝開院式に行啓の途上に摂政宮殿下を狙撃す。突如怪漢数名虎ノ門に現れ殿下はご無事。(午後1時宮内省公表) 今朝摂政殿下議会開院式に行啓の御途中午前10時40分虎…

38.大正12年12月29日から12月31日まで。小山先生、共益商社

「12月29日(土)曇り後晴 朝、少し雪が降った。午前中敬一兄は小山先生宅に行く。副島、岡3人、露木氏稽古に来たる。尚又市川千代氏遊びに来たる。氏は竹須さんの側に横浜より引越し来たる由。森永菓子を下さる。昼過ぎ規矩士兄は竹須方に行き、龍之助氏の…

40.大正13年1月3日から1月7日まで。黒澤すみ(たなかすみこ)レッスン再開。三郎氏は組閣人事に興味津々。明日はいよいよ入学試験ですよ!

「1月3日(木)晴少し風 朝、曇っていたが後に晴れて暖かくなった。午前中、敬一兄、規矩士兄は東京に年始に行く。竹須虎之助氏、年始に来たり。昼頃まで遊んでいく。本日は餅を8個食す。父は隣の後藤氏方に風呂敷を持って年始に行く。更に原の元泉戚方に遊…

41.大正13年1月8日から1月12日まで。東京高等師範学校の入学試験当日です!皇太子殿下御成婚奉祝歌譜の写し

いよいよ東京高等師範学校の入学試験です!三郎さんガンバレ! 「1月8日(火) 朝5時に起きる。食を済まして直ちに袴を着け、如来様に礼して家を出る。 外はまだ真っ暗だ。 大森駅までは往来で人に会わぬ。駅にて少し待つ。 6時の省電に乗る。省電も大変…

43.大正13年1月13日から1月14日まで。天然痘が出た!ココアをご馳走する。

「1月13日(日)晴時々曇り 千里の道も一歩より初む。 近日、東京渋谷に天然痘発生し、更に大井町内、元芝にも1名患者生ぜるにつき、明日第一小学校内にて種痘執行の旨、役場より達示ありたり。昼頃増田氏子どもを連れてちょっと訪問さる。午後敬一、規矩士…

44.大正13年1月15日。関東大震災の最大余震丹沢地震発生!

「1月15日(火)曇り 忍耐は金の成る木 朝、6時少し前、近頃にない激震があった。余は未だ熟睡中であったが、地震と同時に跳ね起き、勝手口の錠をとり、ただちに門を開けて戸外に出た。父もまた、余の後ろに来た。規矩士兄、母は奥の六畳間より庭に出た。敬…

48.大正13年1月17日から1月19日まで。三郎氏は種痘を受ける。戸籍滅失の件は未だ解決しない。

「1月17日(木)曇り夜晴 今日は朝から曇っていて寒い。アメリカにいる菊池氏(教育音楽)より敬一兄に年賀状来たる。露木、時澤(姉妹)氏稽古に来たる。稽古室に石油コンロを入れる。頗る(すこぶる)暖かだ。時澤氏の話にまた20日に地震あることを米国の…

49.大正13年1月20日 寒いので病人多し1 田村虎蔵

「1月20日(日)晴 長所に従うは成功の基 朝、田舎の北見又八氏より、地震見舞い手紙来たる。余は未だ咽喉が痛い。規矩士兄の風邪はほとんど治った。音楽学校分教場生徒湯川末吉氏、訪問さる。あいにく規矩士兄は散歩に出て留守中。シャツ一枚下さる。敬一兄…

55.大正13年1月26日3 田中家の歴史3 田中家音楽事始め1

「父は学校から帰るといつもヴァイオリンを弾いたり、オルガンを練習したのだ。ヴァイオリンは外人より譲り受けしもの、オルガンは西川製のもので、共に珍品であり、殊にヴァイオリンのサックの如きは、旧型のまるで人形を入れるような黒塗りの丈夫な箱で作…

56.大正13年1月26日4 田中家の歴史4 田中家音楽事始め2 田中家隣家よりもらい火されてしまう。(火事)

「火事について思い出したが、我が家にありては太田町にいた時、最早火事にあった。僥倖にもこの時の火勢は付近にて止まり、それで災難を難なく逃れた。今、余の言わんとする火事は、御所山のことで、それは余がたしか市立尋常高等戸部小学校(現尋常戸部小…

60.大正13年2月1日から2月2日 バルダス教授の演奏会が報知新聞社であるようです。

「2月1日(金)晴薄曇り 朝、岩田方の大工来たり。海苔をくれる。またピアノの下に「つく」(机のこと?)を入れるように頼む。敬一兄はもう平温である。朝早くから鹿嶋神社の太鼓の音が聞こえる。父は鹿島谷郵便局に行き、為替10円を(井口氏の)をとる。帰…

64.大正13年2月13日から2月15日 バルダス教授が病気で規矩士兄が困っています。

2月13日(水)曇り後晴風 今日は寒くなった。明治学院高等学部より規則書来たる。余は更に青山学院高等学部にも規則書送付を手紙にて頼む。午後、医院に薬を取りに行く。敬一兄の病気ほとんど全快し、作曲等をしているが未だ粥食である。隣の後藤氏に便所を…

65. 大正13年2月16日から2月18日 敬一兄出勤!三郎氏の受験校の話とか、ピアノの話とか。

「2月16日(土)晴 風 今朝も5時半ごろ小微震ありたり。甘いかき餅を切る。天気が良いので、飛行機来たる。青山学院高等学部より規則書来たる。外国語学校と試験日が同一なので大いに困る。午前中、副島、露木、市川来たる。午後より西村、朝比奈、伏島、時…