すべての翻刻が終了し、日記全部を公開いたしました。(2023年12月17日記)
「田中三郎の日記」は横浜市開港資料館に所蔵されました。(2024年8月20日記)
tanakakeiichisaburou.hatenablog.com
田中三郎
神奈川県立第一横浜中学校を卒業。この当時は上級学校進学のために家にいました。
長兄 田中敬一
1890年(明治23年)横浜生まれ。
鹿児島県立第一鹿児島中学校教諭を経て、東京市月島第二尋常小学校訓導。
1921年(大正10年)より旧制東京高等学校講師(教科は唱歌)
この旧制東京高等学校時代に指揮者の朝比奈隆の音楽の手ほどきをしたのでは?という推測がある。
著書に『和声学教授書』(1920)、『作曲の入門』(1925)、そしていくつかの唱歌が伝わっている。
この著作は国会図書館サーチにて見ることができる。
この『和声学教授書』は日本人による和声学の教科書としては3番目に書かれたそうである。
https://core.ac.uk/download/pdf/70318369.pdf
1923年(大正12年)は、東京市月島第二尋常小学校訓導と、旧制東京高等学校に勤務をしていました。
1926年(大正15年)没。
詳しくはこちら。
次兄 田中規矩士
1897年(明治30年)横浜生まれ。
1919年(大正8年)東京音楽学校本科器楽部ピアノ専攻卒業。
神奈川県立湘南中学校、旧制武蔵高等学校講師(教科は唱歌)、東京音楽学校講師を経て東京音楽学校教授(ピアノ)、武蔵野音楽大学教授(ピアノ)
1923年(大正12年)は、旧制武蔵高等学校と東京音楽学校の講師でした。
1955年(昭和30年)没
詳しくはこちら。
のちに音楽教育家として有名になったたなかすみこと結婚。この日記の当時、たなかすみこ(旧姓黒澤すみ)は田中規矩士にピアノを師事。横浜の家と大森の家にレッスンに通っていました。
三郎の日記には規矩士のことを規兄と略称されていることが多い。しかし翻刻は「規矩士兄」と書くこととします。
三郎の家にはこの長兄、次兄の他に父、田中敬義、母がいました。
(長兄の妻を「姉」として記載があるが、途中から記載がなくなる。何かあったのか?)
父、田中敬義は小学校の教員だったようです。音楽好きで、唱歌も教えたのでは?という伝承があります。
1901年(明治34年)から1908年(明治41年)まで東京音楽学校選科に在籍。詳しくはこちら。
91.規矩士の父、田中敬義は東京音楽学校選科に在学していた。 - 田中規矩士・たなかすみこ夫妻の記憶 β版
のちの妻、たなかすみこは、「田中敬義は音楽の先生だった」と言っていたそうです。
1917年(大正6年)1月5日と裏に書いてある写真。
右より田中敬一、田中三郎、左は田中規矩士。
日記は1923年(大正12年)9月1日、あの関東大震災の日から始まっていました。この当時田中家は横浜にありました。
関東大震災で焼け出された田中家は、東京の大森に移住しました。
日記はおそらく何か下書きのようなものがあったのかもしれません。それは伝わっていません。そして清書をしてこの冊子にまとめたのでは?と推測します。紙は触った感じでは和紙。それに万年筆か何かで書いています。楷書で丁寧に書かれているので、後世の私たちにも読みやすいです。
元々は違う表紙がついていたと思います。表紙が傷んでしまったようで、違う紙に貼り替えたようです。
田中三郎の日記
三郎氏本人の話だけではなく、長兄の敬一、次兄の規矩士のことも多く書かれています。三郎氏は長兄、次兄とは違い音楽の道には進まなかったようですが、音楽好きで、兄たちの話す音楽の話、東京音楽学校の話を書き留めています。そしてやはり兄たちの話す勤務先での話も多く書きました。
田中三郎氏は1957年(昭和32年)に死去。この日記は田中家では、三郎氏の次兄、田中規矩士の妻、たなかすみこが持っていて、ある時に三郎氏の長男に渡したと伝わるそうです。いつ、たなかすみこに渡ったのか?そして三郎氏の長男にはいつ渡ったのかはわからないとのことです。
今回田中三郎氏の長男の遺品から見つかりました。
これを私、いろおんぷのまりが旧仮名遣いから、現代仮名遣いに書き起こしてみました。いろおんぷのまりは歴史学者ではないので、間違いもあるかと思います。ご容赦ください。
メモ代わりに私がリンクを貼ったり、コメントというか、突っ込んだりしています。そちらは原文にはありません。
なお、このウェブサイトのコメントは閉鎖しています。お問い合わせは右側サイドバー(スマートホン又はタブレット端末はスクロールした一番下)のサイト情報の「お問い合わせフォーム」よりお願いいたします。
日付は体裁を整えるために、いろいろと移動をしています。消せるらしいのですが、よくわからなかったのでそのままです。無視してください。
追記記録:
2023年8月2日
国会図書館デジタルにて公開されている資料により新しい知見が得られたので、コメントを追記しました。
7.(余談)田中規矩士の妻、すみこの関東大震災 - 田中三郎の日記
2023年12月8日
【東京音楽学校在籍者検索】によると、父敬義は1901年(明治34年)から1908年(明治41年)まで東京音楽学校選科に在籍していたことがわかったので訂正追記しました。
91.規矩士の父、田中敬義は東京音楽学校選科に在学していた。 - 田中規矩士・たなかすみこ夫妻の記憶 β版
中の人