田中三郎の日記

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大正12年11月

23.大正12年11月1日から11月4日まで。規矩士自宅レッスン再開

「11月1日(木)晴 9時半ごろ父と共に生麦新住宅地国道筋の永楽銀行の仮事務所に行き、規矩士兄の貯金、約280円を払い戻す。母の分は印を焼失の為、約一週間後に支払う由。銀行金の話によれば横浜支店は支店長外4名の事務員全部圧死せりと。それより生麦停留…

24.大正12年11月5日から11月6日。戸籍滅失。

「11月5日(月)晴 夜明け方、強震あり、一同戸外に飛び出る。9時頃より大森の松岡写真館に行き、1組3枚半身像を写す。それより蒲田まで歩き、汽車に乗りて横浜に行く。そして桜木町の市役所仮事務所を訪れ、戸籍謄本を取らんとせしも、戸籍焼失に付き、不可…

25.大正12年11月7日から8日まで。規矩士は聖心女学校のピアノ判定をする。父、敬義は恩給支払いの手続きをする。

「11月7日(水)曇り雨 朝、神中に学業成績書を請求す。午後より父は竹須夫妻と共に、三木邸隣の平林方の菊を見物に行く。帰りに竹須細君一人、家に寄る。そしてピアノを見る。本日敬一兄は月島小学校より雑記帳2冊、ゴム消し3個、鉛筆3本の慰問品を受く。京…

26.大正12年11月9日から15日まで。敬一盲腸炎になる。

「11月9日(金)晴 今朝より急に寒くなった。敬一兄は少し気分が悪くて学校を休む。竹須氏夫人来たり。お酉様の土産の里芋をくださる。」 気象庁のデータでも最低気温6度と急激に冷えたことがわかりました。 https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view…

27.大正12年11月16日から18日まで。旧被服廠跡にて。風呂を作ろうか?

「11月16日(金)晴 8時より出京す。勿論往復徒歩す。途中南品川の医者にて、身体検査書をとる。 例によって改正道路を品川に進み、三田に折れて赤羽橋を渡り、芝公園を過ぐ。この時、飛行船飛来し来たる。 東京ももはや大分復興して、店頭に旗を出し、看板…

29.大正12年11月24日から30日まで。規矩士は女子音楽園でも教えていた?黒澤氏が訪ねてきた。

11月24日(土)雨 午前中、父は大貫氏(英和幼稚園裏)に行く。鶴見の副島、稽古に来たる。 昼頃隣の後藤氏、大工を連れて家に来たり。壁の様子を見る。その時父は、風呂場設置の件を話す。 いよいよ高等師範の試験(1月8日より5日間)が近づいた。この頃の…

28.大正12年11月19日から23日まで。三郎は師範学校の願書を出す。余震があった。

「11月19日(月)晴 父、横浜の戸部銀行に行きしも、未だ開業せず。本日午後3時より大場氏宅にて慰問品の配給があった。今度は茶、薬、タオル2枚、さらし1匁、黒かすり1匁、股引き、小児着物、赤しょうがを貰った。本日鹿島神社の例祭で、夜父と共に神楽を…

30.11月まとめ

大正12年9月より始まった三郎氏の日記も、3ヶ月が経ちました。世の中はだいぶ落ち着きを取り戻したようです。とはいえ壊滅的被害を被った東京や神奈川県は、復興にいろいろと手間取ることも多いのでしょう。戸部銀行がなかなか再開しなかったり。多くの死傷…