田中三郎の日記

カテゴリーに月ごとに分類してあります。カテゴリーをクリックしてから入ると読みやすいと思います。

大正12年10月

14.大正12年10月7日から10月11日まで。規矩士武蔵高校に出校。共益商社の富永氏に会いに行く。

(多忙だったようで1か月空いてしましました。この後はコンスタントに日記をつけています) 「10月7日(日)曇り 本日役場吏員原小学校に出張して救助米を受くべき避難民の貧富の程度につき質問す。結果余の分は削られて父母2人分となる。救助米件は役場3時…

15.大正12年10月12日 日比谷公園に避難をした被災者を見る

「10月12日(金)晴のち曇り 8時より徒歩で本郷に古本を買いに出る。 途中、芝、日比谷公園を訪れ、バラックを見る。バラックはほんの板を一列に並べたに過ぎない家で、順序良く引き窓(湯殿にある窓)があり、夜はこれを閉ずるものらしい。 1バラック内に数…

16.大正12年10月13日から10月14日まで 日比谷に軍楽隊の演奏会を聞きに行く

「10月13日(土)晴 朝早く、父、敬一兄は生麦の海老塚氏を訪れ、洋服のことにつき相談す。9時半より規矩士兄と共に馬込村を経て池上本門寺に至る。本門寺は今年の式を無期延期する由。しかし会式のあくる日のこととでかなり賑やかな人出であった。帰りは池…

17.大正12年10月15日から10月20日まで 規矩士は震災以来初の東京音楽学校に出勤。豊増昇の手紙

「10月15日(月)曇り小雨 規矩士兄今日より上野音楽学校に出校。(東京音楽学校) 竹須氏役場の様にて来たり。家族の貧富の様子を調査さる。午後よりまた来たり。盆二枚下さる。時澤、内田、角蔵氏より無事の返事来たる。内田氏は大阪のセルフレザー会社に…

18.大正12年10月21日 共益商社仮事務所にピアノの催促をする 横浜の旧宅を見に行く 西川楽器にもピアノ入手の算段をしに行く

「10月21日(日)晴 朝、規矩士兄と共に水神下の共益商社仮事務所に行き、富永氏に会いてピアノの催促をせんとせしも不在にて如何とも出来ず。 それより大森駅に居たり8時56分の横浜行きに乗る。往復57銭。(京浜間の電車は今日より25分おきに出る。震災以来…

19. 大正12年10月22日から10月24日まで。規矩士は黒澤家を訪問する!

「10月22日(月)曇り 吉川君10時頃遊びに来たる。氏は家族一同と横浜出帆の大洋丸にて神戸に行き、それより郷里の金沢に帰りしも、一昨日また母と2人して大森の父の立ち退き所に戻りし嘉、いろいろ避難についての怖ろしき、あるいは面白き話あり。神戸は避…

20.大正12年10月25日から10月27日まで。ピアノが手に入らない。黒澤氏が見舞いに来る。

「10月25日(木)曇り夜小雨 朝早く竹須氏来たり。大井町宮本組合にて避難民慰安会を鹿島神社境内で挙行し、その際音楽もしたき旨、話あり。午後、原小学校に救助米を受けに行く際、山川氏の末子に会う。山川氏一同は震災後徒歩で野宿をして、二宮の別邸に行…

21.大正12年10月28日から10月31日まで。ピアノ入手!調律の板倉氏が来る

「10月28日(日)曇り 午前中敬一兄、姉と共に大仏方面に散歩す。その時、震災秘密写真3枚(洲崎の死体、被服廠の死体)を50銭で一車夫より買う。右は実に恐ろしき光景にて、記念とすべきに足るものなり。」 残酷というか悲惨な写真をついつい見たくなるのは…

22.大正12年10月までのまとめ。

(附) 月日の経つのは早いもので震災以来二か月の星霜は過ぎた。顧みるに我が乞食となりてより、色々困難をなし、又、色々の経験をしたが、これ皆修養の一部分となった。帰って愉快である。一方震災当時は手に文庫と用箪笥んも一引き出しを持つに過ぎなかっ…