田中三郎の日記

カテゴリーに月ごとに分類してあります。カテゴリーをクリックしてから入ると読みやすいと思います。

大正13年9月

123.大正13年9月1日1.あれから一年が過ぎました。

あの「関東大震災」から1年が過ぎました。横浜にあった田中家は罹災してしまい、結局大森に引っ越しを余儀なくされました。 大事にしていた楽譜、音楽書、レコード、そしてベヒシュタインのピアノもすべて灰となってしまいました。あの日は近所の神奈川県立…

124.大正13年9月1日2.9月2日。新聞記事を写す。中央大学の別科に編入することになった。

三郎氏は新聞記事を熱心に写します。この当時はコピーはないので手で写すしかないです。やはりいろいろと思うことは多かったと思います。 東京日日新聞。 銀座では、追悼のため2時間休業をするようです。 摂政宮(昭和天皇のこと)同妃殿下は新宿御苑で栽培…

125.大正13年9月3日1 東京市主催震災復興展覧会に行く。(関東大震災100年記念イベント情報も)

(久しぶりに長い日記です) 9月3日(水)曇り 今朝4時半ごろスリパンが鳴る。これは震災記念に打ったらしい。半鐘で人々早く起きてしまった。」 スリパンとは擦半鐘のことらしいです。 kotobank.jp 朝早くから「火事だ火事だ」と半鐘が鳴ってしまったら、ビ…

127.大正13年9月4日から9月11日まで。夏休みが終わる。

9月4日(木)曇り夜大雨 忍耐は快楽の門なり 午前中、露木、時澤(妹)、内藤氏来たる。父母は大森に箪笥を買いに出たる。午後4時ごろ小微震あり。夜、湯に入る。父、規矩士兄散歩。山田清君より手紙来たる。夜8時頃大雨となり、雷もした。」 また台風で…

128.大正13年9月12日から9月20日まで。規矩士兄は米沢に演奏旅行に行く。

「9月12日(金)雨 時ある時に時を得よ 規矩士兄、夜、分教場にて、伊達氏、末吉氏の合奏練習をなす。11時頃帰宅す。帰宅後(夜半)、伊達氏より「米沢の音楽会主催者の住所を明日知らせよ」との電報あり。洋菓子を元泉方にあげる。神田でカバン(1円80銭)…

129.大正13年9月21日から9月27日まで。規矩士兄は秋田に演奏旅行に行く。豊増昇氏怪我。中央大学で学友が増えた。だいぶ涼しくなってきた。

9月21日(日)曇り 雨 朝、敬一兄、規矩士兄3人にて、銀座に旅行かばん(27円)を買いに行く。規矩士兄のみそれより分教場にピアノ練習に向かう。母は朝より本牧の北見方に行く。4時に帰宅。規矩士兄は正6時に家を出て、秋田演奏に向かう。あいにく降雨なの…

130.大正13年9月28日から10月4日まで。浅草オペラを見た。弁論会が面白かった。凮月堂のお菓子をもらった。

9月28日(日)晴 午前9時に万世橋で氏森君と会し、上野公園を散歩する予定であったが、10時になっても氏が見えぬので、余は単身浅草に向かう。浅草公園は震災前と同様、すこぶる賑やかだ。50銭を投じてオペラ館に入った。まことに幼稚なオペラである。本日は…

162.『それは丘の上から始まった』を読む―田中三郎の日記と照らし合わせて。5 戸部警察署と横浜第一中学校校舎

(2023年10月12日投稿) さて、虐殺の急速な拡大を推し進めたのは何だったのか?(45ページ) ①流言が伝えられるうちに強力なものになっていった。 流言は「いつ、どこで、どんなことがあったのか」という具体的な内容を持った。すでに知っている確実な情報…