田中三郎の日記

カテゴリーに月ごとに分類してあります。カテゴリーをクリックしてから入ると読みやすいと思います。

東京音楽学校

17.大正12年10月15日から10月20日まで 規矩士は震災以来初の東京音楽学校に出勤。豊増昇の手紙

「10月15日(月)曇り小雨 規矩士兄今日より上野音楽学校に出校。(東京音楽学校) 竹須氏役場の様にて来たり。家族の貧富の様子を調査さる。午後よりまた来たり。盆二枚下さる。時澤、内田、角蔵氏より無事の返事来たる。内田氏は大阪のセルフレザー会社に…

18.大正12年10月21日 共益商社仮事務所にピアノの催促をする 横浜の旧宅を見に行く 西川楽器にもピアノ入手の算段をしに行く

「10月21日(日)晴 朝、規矩士兄と共に水神下の共益商社仮事務所に行き、富永氏に会いてピアノの催促をせんとせしも不在にて如何とも出来ず。 それより大森駅に居たり8時56分の横浜行きに乗る。往復57銭。(京浜間の電車は今日より25分おきに出る。震災以来…

20.大正12年10月25日から10月27日まで。ピアノが手に入らない。黒澤氏が見舞いに来る。

「10月25日(木)曇り夜小雨 朝早く竹須氏来たり。大井町宮本組合にて避難民慰安会を鹿島神社境内で挙行し、その際音楽もしたき旨、話あり。午後、原小学校に救助米を受けに行く際、山川氏の末子に会う。山川氏一同は震災後徒歩で野宿をして、二宮の別邸に行…

22.大正12年10月までのまとめ。

(附) 月日の経つのは早いもので震災以来二か月の星霜は過ぎた。顧みるに我が乞食となりてより、色々困難をなし、又、色々の経験をしたが、これ皆修養の一部分となった。帰って愉快である。一方震災当時は手に文庫と用箪笥んも一引き出しを持つに過ぎなかっ…

25.大正12年11月7日から8日まで。規矩士は聖心女学校のピアノ判定をする。父、敬義は恩給支払いの手続きをする。

「11月7日(水)曇り雨 朝、神中に学業成績書を請求す。午後より父は竹須夫妻と共に、三木邸隣の平林方の菊を見物に行く。帰りに竹須細君一人、家に寄る。そしてピアノを見る。本日敬一兄は月島小学校より雑記帳2冊、ゴム消し3個、鉛筆3本の慰問品を受く。京…

28.大正12年11月19日から23日まで。三郎は師範学校の願書を出す。余震があった。

「11月19日(月)晴 父、横浜の戸部銀行に行きしも、未だ開業せず。本日午後3時より大場氏宅にて慰問品の配給があった。今度は茶、薬、タオル2枚、さらし1匁、黒かすり1匁、股引き、小児着物、赤しょうがを貰った。本日鹿島神社の例祭で、夜父と共に神楽を…

31.大正12年12月1日から7日まで。風呂場完成。敬一兄快癒。

「12月1日(土)晴 午前中規矩士兄は三田に音楽書を買いに行く。竹須氏来たり。掛物を取り換える。本日壁屋来たり。壁の下塗り直す。あいにく父が少し風邪をひいたため、塵埃甚だしいので困る。夜、薬をとりに行き、帰りに竹須方の湯に行く。永らく入らなか…

32.大正12年12月8日から11日まで。敬一兄の妻の本を取りに行く。壁土に足を突っ込んじゃいました。(泣)

「12月8日(土)晴 午前中、神田の一ツ橋小学校に姉の配給本を貯めて置きしを、余が取りに行く。本は古本もあるが、大体新しいものである。これらの本を左に示すと、 西洋史、東洋史、五名著漢文抄、大正日本文典下巻、大正日本文法上巻、下巻、中等化学教科…

33.大正12年12月12日から15日まで。規矩士オーケストラに出演?

「12月12日(水)晴 母は風邪のため、朝遅く起きる。人見鹿太郎、林喜代子氏より手紙来たる。人見氏は学校のことにて忙しく、返事遅れし由。千代田火災保険の証券郵送し来たる。敬一兄は学校の帰り、西洋皿20枚(4円)買ってくる。これは病気見舞い返礼の為…

34.大正12年12月16日から21日まで。たなかすみこから手紙が来た。父、敬義氏がピアノを教える。ベートーヴェントリオ旗揚げ?

「12月16日(日)晴 朝、規矩士兄は、旧2等汽車乗車券再交付に付き、横浜駅出札掛より通知の手紙来たりしより横浜駅に行く。新聞によると火災保険支払いの件は、1割に決定の由、規矩士兄の再交付券は3円の手数料を取られ、来年の2月15日に延期されたりと。規…

35.大正12年12月22日から24日まで。共益商社よりピアノが来る。ベートーヴェントリオの高階氏ドタキャン騒動(-_-)

12月22日(土)雨曇り 朝、山川氏、音楽会の切符(2枚)をとりに来る。副島、露木氏ピアノ稽古をなす。副島氏歳暮に砂糖を下さる。本日は音楽学校の学友会音楽会にて規矩士兄は10時ごろ出校す。 共益商社よりピアノ、椅子来たる。2時頃本牧のおじさん訪れる…

37.大正12年12月27日(続き)から12月28日まで。虎ノ門事件。武蔵高校の英語教師バレリー氏より規矩士兄に靴下をクリスマス進物として送らる。

12月27日の日記の続きです。 「敬一兄の買って来た新聞によると(東京にては号外出る由) 今朝開院式に行啓の途上に摂政宮殿下を狙撃す。突如怪漢数名虎ノ門に現れ殿下はご無事。(午後1時宮内省公表) 今朝摂政殿下議会開院式に行啓の御途中午前10時40分虎…

38.大正12年12月29日から12月31日まで。小山先生、共益商社

「12月29日(土)曇り後晴 朝、少し雪が降った。午前中敬一兄は小山先生宅に行く。副島、岡3人、露木氏稽古に来たる。尚又市川千代氏遊びに来たる。氏は竹須さんの側に横浜より引越し来たる由。森永菓子を下さる。昼過ぎ規矩士兄は竹須方に行き、龍之助氏の…

39.大正13年1月1日から1月2日まで。お正月。

100年前の東京でのお正月。100年後のお正月。 国旗を掲揚する家はほとんど見かけなくなりました。(ウチの近所だけでしょうか?) ラジオもテレビもネットもないから、家族一同でお祝いをしたり、近所に年賀に行ったりするお正月。年賀に家を訪問する方もい…

41.大正13年1月8日から1月12日まで。東京高等師範学校の入学試験当日です!皇太子殿下御成婚奉祝歌譜の写し

いよいよ東京高等師範学校の入学試験です!三郎さんガンバレ! 「1月8日(火) 朝5時に起きる。食を済まして直ちに袴を着け、如来様に礼して家を出る。 外はまだ真っ暗だ。 大森駅までは往来で人に会わぬ。駅にて少し待つ。 6時の省電に乗る。省電も大変…

49.大正13年1月20日 寒いので病人多し1 田村虎蔵

「1月20日(日)晴 長所に従うは成功の基 朝、田舎の北見又八氏より、地震見舞い手紙来たる。余は未だ咽喉が痛い。規矩士兄の風邪はほとんど治った。音楽学校分教場生徒湯川末吉氏、訪問さる。あいにく規矩士兄は散歩に出て留守中。シャツ一枚下さる。敬一兄…

50.大正13年1月21日から1月22日 寒いので病人多し2

1月21日(月)晴 労働は神聖なり 敬一兄は未だ腹が痛まず、足部が冷えるのでカイロを入れる。熱は37度6分。少しある。規矩士兄は月島第二(青山2864)へ電話をかけ、缶欠する旨を伝えしむ。(病欠をするという電話をしたんだと思います)東京音楽学校の電話…

51.大正13年1月23日 寒いので病人多し3

「1月23日(水)晴強風 辛抱は宝なり 敬一兄、朝の温度は37度。大分下がる。葛湯を飲む。竹須虎之助氏、一寸見舞いに来たる。余の風邪は未だ痰が出る。敬一兄、正午における温度は37度。小便赤く濁れり。安静にしている。昼食は餅の粥を余等は食す。父、昼…

52.大正13年1月24日から1月25日まで 寒いので病人多し4

「1月24日(木)晴 風 今朝は猛烈に寒く、井戸に氷が張った。故に天然の氷が出来たわけだ。敬一兄は気分益々良く、6時における体温36度7分。9時には36度1分となった。余は牛乳2合(20銭)と片栗粉を買いに行く。10時に敬一兄、牛乳にコンスタチーを混ぜて飲…

57.大正13年1月26日5、1月27日、1月28日  寒いので病人多し5

1月26日の続きです。 「朝、9時頃起きた。丁度海の方で皇礼砲が轟いていた。品川湾に軍艦が来ているのだ、また10時過ぎにも鳴った。なんとなく遠くの方で花火の音がするので賑やかな感じがした。規矩士兄は武高の式に出席し12時に帰る。亀屋にてジャム食パ…

59.大正13年1月29日から1月30日まで。東京音楽学校の同級生川上きよさんのこと 規矩士兄はショルツに師事していた?

1月31日(木)晴 午前中、余は大井通りに婦人画報2月号を買いに行く。規矩士兄の記事は川上きよ氏の評の中に一寸書いてあるのだ。 月島第二小学校より敬一兄の履歴書よこせと手紙来たる。余はそれを書く。父もまた、田舎の北見由蔵氏より、田中の戸籍抄本を…

60.大正13年2月1日から2月2日 バルダス教授の演奏会が報知新聞社であるようです。

「2月1日(金)晴薄曇り 朝、岩田方の大工来たり。海苔をくれる。またピアノの下に「つく」(机のこと?)を入れるように頼む。敬一兄はもう平温である。朝早くから鹿嶋神社の太鼓の音が聞こえる。父は鹿島谷郵便局に行き、為替10円を(井口氏の)をとる。帰…

61.大正13年2月3日から2月5日 規矩士フロックコートをあつらえる。戸籍問題が解決したようです。

「2月3日(日)晴 大風 北風が吹くので、大変寒く、雪がすっかり凍ってしまった。余は8時ごろ起きた。規矩士兄は音楽学校にピアノの練習に行く。昼食に敬一兄は豆腐の汁を飲む。月島第二小学校に診断書を手紙にて出す。父はきな粉を買ってきたり。安倍川を作…

63.大正13年2月8日から2月9日  規矩士兄の演奏会

2月8日(金)暴風 孝行は汝を宝石にす 朝、月島の諸澤、林喜代子、同声会より手紙来たる。南風ですこぶる暖かである。そして大変湿る。 余は明日規矩士兄の履く靴を猛烈に磨く。 3時頃、月島第二小学校の校医、増田章一氏、息子の東京高校入学試験につい…

64.大正13年2月13日から2月15日 バルダス教授が病気で規矩士兄が困っています。

2月13日(水)曇り後晴風 今日は寒くなった。明治学院高等学部より規則書来たる。余は更に青山学院高等学部にも規則書送付を手紙にて頼む。午後、医院に薬を取りに行く。敬一兄の病気ほとんど全快し、作曲等をしているが未だ粥食である。隣の後藤氏に便所を…

65. 大正13年2月16日から2月18日 敬一兄出勤!三郎氏の受験校の話とか、ピアノの話とか。

「2月16日(土)晴 風 今朝も5時半ごろ小微震ありたり。甘いかき餅を切る。天気が良いので、飛行機来たる。青山学院高等学部より規則書来たる。外国語学校と試験日が同一なので大いに困る。午前中、副島、露木、市川来たる。午後より西村、朝比奈、伏島、時…

66.大正13年2月19日から2月21日 規矩士はピアノ練習。敬一は作曲。

「2月19日(火)晴 曇り夜遅く小雨 規矩士兄は武高日なり。朝は未だ霜柱が立ち寒い。敬一兄は8時半に家を出る。今朝、阪川牛乳商店という者、見本に牛乳1本を家に入れてゆく。また、天業民報社より新聞を持って来る。2銭で買う。例の田中智学氏一派の言説で…

67.大正13年2月22日から2月23日  規矩士兄はオーケストラ演奏会に出演。敬一兄は東高に出勤!

2月22日(金)曇り夜少雨 規矩士兄は本日音楽会の総練習の由。朝、千葉の入野氏より規矩士兄に手紙来たる。それは震災見舞いとして新毛布を呈すると言う。場所は中渋谷(渋谷停車場を降り、左に大通りを行き、道玄坂に至らんとして右道に入り、大向小学校を…

68.大正13年2月24日から2月25日 祖母の祥月命日。火災保険の話題。

2月24日(日)晴 微風 朝2時半ごろ半鐘が盛んに鳴っていた。風があるので心配したが、遠いらしい。貯金局より確認書来たる。午前中西村、岡3人稽古に来たる。また市川氏も来たる。今日もまた一段と寒い。家内に乾かしてあった甘いかき餅が、ほとんど固くなっ…

69.大正13年2月26日 1 三郎氏は火災保険の話題が興味津々

2月26日(火)晴 未だ寒さが治らず。今日は規矩士兄は武高日である。伊勢四日市に居る梶浦氏(以前ピアノ弟子)より、時候見舞の手紙、規矩士兄に来たる。また、明日より音楽学校にて学友会音楽会のオーケストラ練習練習をする旨の通知あり。火災保険の問題…