田中三郎の日記

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52.大正13年1月24日から1月25日まで 寒いので病人多し4

「1月24日(木)晴 風

今朝は猛烈に寒く、井戸に氷が張った。故に天然の氷が出来たわけだ。敬一兄は気分益々良く、6時における体温36度7分。9時には36度1分となった。余は牛乳2合(20銭)と片栗粉を買いに行く。10時に敬一兄、牛乳にコンスタチーを混ぜて飲む。

武蔵高校より規矩士兄に27日正午、帝国ホテルにおいて、一木校長の昇進の祝賀会及び田村教師(漢文)の送別会を催す由の通知ありたり。規矩士兄、学校より帰り来たり武高の山本教頭に欠席の手紙を出す。

午後、露木氏来たる。稽古すんで、規矩士兄は床屋に行く。3時に時澤氏姉妹来たる。規矩士兄は帰りが遅いので、余が探しに行く。時澤氏遅く帰らる。夕方、東京高等学校の蓮池教諭、敬一兄の病気見舞いに来たる。夜、氷を一貫目買いに行く。8時頃先生(医師だと思います)来たる。大変良いけれども、尚、警戒を要する。余は薬を取りに行く。午後9時における敬一兄の体温36度7分。規矩士兄は音楽会のピアノ練習で忙しい。この頃は家内中、忙しいので、湯をたてず。時事新報を断る。規矩士兄は本日学校の帰りに水神下に回り、菓子パンを買ってくる。余は今日も夜中中起きて、敬一兄の看護をする。」

コンスタチーとはコーンスターチのことだと思います。牛乳にとろみをつけて飲まれたんだと思います。

(小さい声で)

お腹の具合が悪いですが、牛乳は大丈夫なんだろうか?

 

相変わらず寒いようです。いつもの気象庁過去データでも最低気温氷点下4.2度とあります。ブルブル!最近では東京では氷点下になることが少なくなりました。

https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/daily_s1.php?prec_no=44&block_no=47662&year=1924&month=01&day=&view=p1

 

「1月25日(金)晴 微風

室内には、2個の火鉢を入れ、湯気を立てる。夜中はなんとなく寒く感じる。静かな中に汽車の音、犬の鳴き声、夜番の拍子木の音、雛の声が聞こえる。今は丁度午前2時。余の側に母が寝ている。3時にまた、母と交替す。それより余は寝る。目が覚めたのは午前10時。日中である。朝食は菓子パンを食べる。敬一兄はミルク(兎印)をコンスタチーと混ぜて飲む。体温は最早普通である。余の風邪は未だ治らず。痰が出る。

規矩士兄は本日音楽学校のオーケストラ練習の由。余は父の県庁に出す履歴書を書く。5時頃、木村貞、迫江氏より敬一兄に手紙来たる。父はまた糞詰まりにて困り、浣腸をする。しかし出ず。しばらく寝る。夕方電気つかず。余はローソク10本を買いに行く。やっと7時半ごろ点火さる。規矩士兄は今度のヴィオラは大型なので骨が折れると言う。学校の帰りに食パンとバターを買って来る。夜、余は氷を買いに出る。医者は9時半ごろ来たる。熱も36度3分になり、ますます全快におもむく。余は薬を取りに行く。薬は本日より2日分の割合となる。その際、父の浣腸薬をもらう。いよいよ明日は御慶事なので、医院も休業する旨の掲示があった。第一小学校前の消防隊は、今夜警戒すると見え、大勢が小舎の中にいた。今日、柳屋靴店より、新調の靴を持ってくる。編み上げで12円50銭。例によりまた敬一兄の看護をする。」

 

敬一兄は三郎氏の看病でだいぶ元気になりましたが、三郎氏は未だ風邪が治らないようです。今度は父の調子が悪いようです。

規矩士兄はこの頃はヴィオラをさかんに弾いているようです。