田中三郎の日記

カテゴリーに月ごとに分類してあります。カテゴリーをクリックしてから入ると読みやすいと思います。

大正13年1月

39.大正13年1月1日から1月2日まで。お正月。

100年前の東京でのお正月。100年後のお正月。 国旗を掲揚する家はほとんど見かけなくなりました。(ウチの近所だけでしょうか?) ラジオもテレビもネットもないから、家族一同でお祝いをしたり、近所に年賀に行ったりするお正月。年賀に家を訪問する方もい…

40.大正13年1月3日から1月7日まで。黒澤すみ(たなかすみこ)レッスン再開。三郎氏は組閣人事に興味津々。明日はいよいよ入学試験ですよ!

「1月3日(木)晴少し風 朝、曇っていたが後に晴れて暖かくなった。午前中、敬一兄、規矩士兄は東京に年始に行く。竹須虎之助氏、年始に来たり。昼頃まで遊んでいく。本日は餅を8個食す。父は隣の後藤氏方に風呂敷を持って年始に行く。更に原の元泉戚方に遊…

41.大正13年1月8日から1月12日まで。東京高等師範学校の入学試験当日です!皇太子殿下御成婚奉祝歌譜の写し

いよいよ東京高等師範学校の入学試験です!三郎さんガンバレ! 「1月8日(火) 朝5時に起きる。食を済まして直ちに袴を着け、如来様に礼して家を出る。 外はまだ真っ暗だ。 大森駅までは往来で人に会わぬ。駅にて少し待つ。 6時の省電に乗る。省電も大変…

42.(脱線)東京高等師範学校の入学試験

三郎さんの日記に東京高等師範学校の入学試験の写しが書いてありました。画像にて一挙公開します。 国語です。 すみません、古文の試験ですか? 全然わかりません。どういう風に回答していいのかわかりません。 英語です。英語は元々苦手なので、パスします…

43.大正13年1月13日から1月14日まで。天然痘が出た!ココアをご馳走する。

「1月13日(日)晴時々曇り 千里の道も一歩より初む。 近日、東京渋谷に天然痘発生し、更に大井町内、元芝にも1名患者生ぜるにつき、明日第一小学校内にて種痘執行の旨、役場より達示ありたり。昼頃増田氏子どもを連れてちょっと訪問さる。午後敬一、規矩士…

44.大正13年1月15日。関東大震災の最大余震丹沢地震発生!

「1月15日(火)曇り 忍耐は金の成る木 朝、6時少し前、近頃にない激震があった。余は未だ熟睡中であったが、地震と同時に跳ね起き、勝手口の錠をとり、ただちに門を開けて戸外に出た。父もまた、余の後ろに来た。規矩士兄、母は奥の六畳間より庭に出た。敬…

45.大正13年1月16日。ルポライター三郎は大活躍!せっせと新聞記事を写す

三郎氏は「ルポライター」なんですね。この当時はコピーがないので、せっせと書き写すしかないのですが、それにしても頑張っています。スゴ過ぎです(@_@)。 「1月16日(水)晴 朝、大森に世界地図を買いに行く。開成館の模範世界地図(1円40銭)を買う。昼…

46.田中家はどこにあったのか?(大正13年)

田中家は横浜を焼け出されてしまい、現在の品川区に引っ越しされました。 三郎氏が新しい家の地図を書いています。 この地図、上が北ではないようです。どうやら上は南、下が北のようです。三郎氏はとても絵が上手なのですが、この頃は「地図は北が上」とは…

47.庚塚の田中家の様子(大正13年)

三郎氏は、新しく住まうことになった庚塚の家の様子も絵にしています。 間取り 横浜の家より若干広めかもしれません。 右下に増築したお風呂がありますね。 1月15日の地震の時の家族の行動。規矩士兄と母は奥の六畳で寝ていたようです。そして敬一兄は手前の…

48.大正13年1月17日から1月19日まで。三郎氏は種痘を受ける。戸籍滅失の件は未だ解決しない。

「1月17日(木)曇り夜晴 今日は朝から曇っていて寒い。アメリカにいる菊池氏(教育音楽)より敬一兄に年賀状来たる。露木、時澤(姉妹)氏稽古に来たる。稽古室に石油コンロを入れる。頗る(すこぶる)暖かだ。時澤氏の話にまた20日に地震あることを米国の…

49.大正13年1月20日 寒いので病人多し1 田村虎蔵

「1月20日(日)晴 長所に従うは成功の基 朝、田舎の北見又八氏より、地震見舞い手紙来たる。余は未だ咽喉が痛い。規矩士兄の風邪はほとんど治った。音楽学校分教場生徒湯川末吉氏、訪問さる。あいにく規矩士兄は散歩に出て留守中。シャツ一枚下さる。敬一兄…

50.大正13年1月21日から1月22日 寒いので病人多し2

1月21日(月)晴 労働は神聖なり 敬一兄は未だ腹が痛まず、足部が冷えるのでカイロを入れる。熱は37度6分。少しある。規矩士兄は月島第二(青山2864)へ電話をかけ、缶欠する旨を伝えしむ。(病欠をするという電話をしたんだと思います)東京音楽学校の電話…

51.大正13年1月23日 寒いので病人多し3

「1月23日(水)晴強風 辛抱は宝なり 敬一兄、朝の温度は37度。大分下がる。葛湯を飲む。竹須虎之助氏、一寸見舞いに来たる。余の風邪は未だ痰が出る。敬一兄、正午における温度は37度。小便赤く濁れり。安静にしている。昼食は餅の粥を余等は食す。父、昼…

52.大正13年1月24日から1月25日まで 寒いので病人多し4

「1月24日(木)晴 風 今朝は猛烈に寒く、井戸に氷が張った。故に天然の氷が出来たわけだ。敬一兄は気分益々良く、6時における体温36度7分。9時には36度1分となった。余は牛乳2合(20銭)と片栗粉を買いに行く。10時に敬一兄、牛乳にコンスタチーを混ぜて飲…

53.大正13年1月26日 1 昭和天皇ご成婚。田中家の歴史1

「1月26日(土)日本晴れ 午後曇り、夜遅く雪 信用は黄金に優る。 奉祝!!めでたくもめでたき日。今日しも我が皇太子殿下には久邇宮良子女王殿下とご結婚の盛儀を挙げさせられる。良子女王殿下が皇太子妃に御内定遊ばされたのは、過ぐる大正7年の初めであっ…

54.大正13年1月26日2 田中家の歴史2 田中家の女中さんの話

1月26日は長々とたくさん書いています。気分が乗ったのでしょう。 「次に話を変じて家庭上の事に付いて言うに、我が家においては他人より女中を求めず。親類関係のある者より選ぶ。敬一兄は杉田しげ氏に、規矩士兄は南太田のきよ氏に、余は長者町にいるとり…

55.大正13年1月26日3 田中家の歴史3 田中家音楽事始め1

「父は学校から帰るといつもヴァイオリンを弾いたり、オルガンを練習したのだ。ヴァイオリンは外人より譲り受けしもの、オルガンは西川製のもので、共に珍品であり、殊にヴァイオリンのサックの如きは、旧型のまるで人形を入れるような黒塗りの丈夫な箱で作…

56.大正13年1月26日4 田中家の歴史4 田中家音楽事始め2 田中家隣家よりもらい火されてしまう。(火事)

「火事について思い出したが、我が家にありては太田町にいた時、最早火事にあった。僥倖にもこの時の火勢は付近にて止まり、それで災難を難なく逃れた。今、余の言わんとする火事は、御所山のことで、それは余がたしか市立尋常高等戸部小学校(現尋常戸部小…

57.大正13年1月26日5、1月27日、1月28日  寒いので病人多し5

1月26日の続きです。 「朝、9時頃起きた。丁度海の方で皇礼砲が轟いていた。品川湾に軍艦が来ているのだ、また10時過ぎにも鳴った。なんとなく遠くの方で花火の音がするので賑やかな感じがした。規矩士兄は武高の式に出席し12時に帰る。亀屋にてジャム食パ…

58.大正13年1月29日から1月30日まで。寒いので病人多し6 体温計壊れる

1月29日(火)曇り 風 11時ごろ起きた。府川氏より頼んであった母の新調の着物、出来て来たる。敬一兄、正午の温度36度2分。規矩士兄は武高日なり。母は洗濯で忙しい。数日湯に入らぬので、身体が痒くなる。午後、竹須龍之助来たる。氏は明朝早く豊橋の二十…

59.大正13年1月29日から1月30日まで。東京音楽学校の同級生川上きよさんのこと 規矩士兄はショルツに師事していた?

1月31日(木)晴 午前中、余は大井通りに婦人画報2月号を買いに行く。規矩士兄の記事は川上きよ氏の評の中に一寸書いてあるのだ。 月島第二小学校より敬一兄の履歴書よこせと手紙来たる。余はそれを書く。父もまた、田舎の北見由蔵氏より、田中の戸籍抄本を…