三郎さんの日記に東京高等師範学校の入学試験の写しが書いてありました。画像にて一挙公開します。
国語です。
すみません、古文の試験ですか?
全然わかりません。どういう風に回答していいのかわかりません。
英語です。英語は元々苦手なので、パスします。
(どなたかチャレンジしたい方いませんか?)
桑港ってサンフランシスコでしたっけ?
数学です。私は勉強がキライで高校から音楽科に進学したので、数学は本当にわかりません。一般の普通科高校から工学部に進学をした夫にも見せました。
彼曰く「まず問題の意味がわからない。何か図とか数式とかはないの?何か情報が抜けていない?」
二人でわかったのは、問題の出題形式が私達が知っている数学の問題と全く違うということです。
日本史は打ち直します。
私は高校から音楽科に行ってしまったので、高校以降の一般教科の勉強をしていません。しかし歴史は得意で好きなので日本史はいけるかな?頑張ってやってみます。
1.後三条天皇の御事績を記せ。
後三条天皇って誰でしたっけ?忘れました。習ったかもしれませんが、全く印象に残っっていません。
2.賤ヶ岳の戦の顛末を記せ。
賤ヶ岳の合戦はあれです。羽柴秀吉と柴田勝家が織田家の家督相続で勢力争いをした合戦です。賤ヶ岳は現在の滋賀県長浜市だそうですよ。本能寺の変で織田信長と嫡男が亡くなって、羽柴秀吉が山崎の戦いで明智光秀を討って、清須会議で羽柴秀吉が信長の嫡男の長男三法師を擁立、山崎の合戦で活躍した三男織田信孝を擁立した柴田勝家と衝突して、結局賤ヶ岳の合戦やって羽柴秀吉が勝利した。
これはなんとかなりそうです。
3.左の描く名(?漢字が読めない)につき説明せよ。
(イ) 国造
大和朝廷の官職で、古代の国の長のこと。律令制で無くなったと思います。
(ロ)執権
(4)左の人々の事績を記せ
(イ)橘逸勢
誰?忘れました。
(ロ)北畠顕家
誰?
(ハ)保科正之
バリバリの戦後派の私たちが習う歴史とはかなり違うようです。私たちから見てマイナーな出来事、マイナーな人のことが多く出題されているようです。出題傾向が現代の試験と全然違います。歴史の教科書は時代によって違うというのは有名ですが、本当にそうなんだと思いました。
論述が多く、今の入学試験とは大違いであることがわかりました。センター試験とは真逆だと思います。とても難しく感じます。
ということで、私も高等師範学校の入学試験をパスすることは無理と悟りました。
どなたかチャレンジしませんか?
おまけ1
東京高等工業学校(現在の東京工業大学)の倉庫から1924年(大正13年)の入学試験問題が出て来たそうです。三郎氏が受験したのは東京高等師範学校、この入試は東京高等工業学校と学校は違いますが、同じ旧制専門学校。似た雰囲気の入試問題だったかもしれません。そして以下のリンクのページに1925年(大正14年)の入学試験当日の写真がありました。
三郎氏が受験したころは、こんな雰囲気だったのかな?
ちなみにこの入学試験問題は、「特定歴史公文書等」に指定され、保存されることになったそうです。
おまけ2
いつの世にも受験生はいろいろな方法で憂さを晴らすwww。