田中三郎の日記

大正12年から13年の日記。横浜における関東大震災そして東京移住・東京音楽学校・大正時代の市井の人々の生活。

57.大正13年1月26日5、1月27日、1月28日  寒いので病人多し5

1月26日の続きです。

「朝、9時頃起きた。丁度海の方で皇礼砲が轟いていた。品川湾に軍艦が来ているのだ、また10時過ぎにも鳴った。なんとなく遠くの方で花火の音がするので賑やかな感じがした。規矩士兄は武高の式に出席し12時に帰る。亀屋にてジャム食パンを買ってくる。東京は4,50台の飛行機が飛んで、奉祝気分盛んなりと。父は大便が出て元気治る。午後、時澤(妹)、市川、朝比奈、副島、西村、黒澤、岡、福家稽古に来たる。父は大森にシャツを買いに行く。敬一兄ますます良く、本日は先生来たらず。歯医者より見舞いの手紙来たる。余は昨日の続きの父の履歴書を書く。本日も夜、敬一兄の看護をする。品川方面に提灯行列の楽隊が聞こえる。夜遅くなり小地震あり。また吹雪となる。電灯しばらく消える。9時における敬一兄温度36度5分。今朝竹須さん見舞いに来たる。」

敬一兄はだいぶ元気になられたようです。良かったです(*^-^*)

規矩士兄は武高での祝賀式に出席です。敬一兄は本来なら月島第二小学校の祝賀式に出席の予定でしたが、体調不良のため欠席しました。

 

 

「1月27日(日)曇り夜晴れ

朝、10時頃余は起きた。雪は一寸位積もっていたが、時候が暖かいと見え、どんどん溶ける。規矩士兄はピアノ練習。正午における敬一兄体温36度6分。昨日は賢所御膳の儀であったが、本日は御同列にて午前10時10分の東京駅発で沼津御用邸にならせらる由。新聞によると昨日は奉祝盛んなりきと。九段バラック村の奉祝提灯行列あり。日比谷音楽堂に陸海軍楽隊の奉祝演奏あり。午後、規矩士兄散歩に出る。東京に行き十一屋でランチ皿、西洋皿を買ってくる。夕方大阪のライト蓄音機商会より、蓄音機1台の当選通知書が来た。ところが送料3円90銭送れとある。これでは一種の詐欺である。夜、氷を買いに行く。先生8時頃来たる。益々良しと。余は薬を取りに行く。敬一兄、スープ(牛肉)を飲む。余は9時半ごろ、守妙を飲んで寝る。長谷川元帥、死去さる。」

蓄音機が欲しくて何かに応募したようです。当選と来て喜んだのも束の間、3円90銭の送料送れとか。こりゃ詐欺だよね。三郎さん、私も「ふざけんな!」って言いますよ。ぷんぷん

 

1月28日(月)晴

朝、靴屋、オーバーシューズを持ってくる。和製だが、堅固な由。3円50銭という。9時における敬一兄、体温36度3分。ますます元気になる。昼頃父は大森の古道具屋に行き、茶箪笥を買う(43円)小僧、車にて引いて来る。この茶箪笥は震災前にあったより大きく、外見は丈夫そうだ。戸棚の中を掃除して、茶器、皿等を入れる。大きいから何でも入る。反対の以前の戸棚が空いて、綺麗になった。

安全組合マーケットにて、また炭をとる。父が大森に行った時、竹須さん、海老塚さんに会った由。久さんは月岡病院にいる友人の見舞いに来たとのこと。敬一兄6時の体温は36度3分。夕食に重湯とつゆ(醤油)を飲む。本日皇太子、妃殿下沼津より還啓さる。数日前の雪で道が悪くなった。魚屋の話によると、氷は一貫目8銭の由。余が山王に買いに行くのは20銭。すこぶる高いわけだ。余は風邪が治らぬので、終日家にいる。規矩士兄は分教場まわり、8時ごろ帰宅し、ピアノ練習す。本日もまた余が3時頃(夜中)まで起きている。2時ごろ一寸電気消える。

 

三郎氏の看病で敬一兄はだいぶ元気になってきたようです。とはいえまだ重湯なので、なかなかシャンとしませんね。三郎氏もなかなか風邪が治りません。

そして魚屋さんから「もっと安く氷を手に入れる方法があるよ」と聞きました。

 

寒いです。いつもの気象庁過去データによると、毎日最低気温は氷点下。1月28日の最低気温は氷点下4.9度です。

おそらくすきま風が多い昔の日本家屋です。田中家も寒かったと思います。

https://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/daily_s1.php?prec_no=44&block_no=47662&year=1924&month=1&day=&view=

 

冷え性寒がりの私、大正時代には生きてかれないかも(>_<)