田中三郎の日記

カテゴリーに月ごとに分類してあります。カテゴリーをクリックしてから入ると読みやすいと思います。

22.大正12年10月までのまとめ。

(附)

月日の経つのは早いもので震災以来二か月の星霜は過ぎた。顧みるに我が乞食となりてより、色々困難をなし、又、色々の経験をしたが、これ皆修養の一部分となった。帰って愉快である。一方震災当時は手に文庫と用箪笥んも一引き出しを持つに過ぎなかったが、二ヶ月後の今日にいたっては戸棚いっぱいとなる盛況になった。今、試しに家道具を細別すると。

(大変なので画像にします。この中の借りたものの中に「ピアノ」があります。ということは、西川楽器からのピアノはレンタルだったのでしょうか?)

来訪された人

奥井氏夫妻、辻ハツ氏、吉川重信君、内田角蔵氏、竹須氏一同、北見浅五郎氏、宇田川弥五郎氏、富永岩吉氏、副島氏、木村氏、黒澤氏園田(音楽学校生坂倉氏森岡氏、中島氏(音楽学校事務員)牧村氏(武高)

見舞い品寄贈人

山本氏、園田氏、北見浅五郎氏、富田川氏(宇田川氏?)奥井氏、佐藤敬一氏、迫江芙由乃氏、副島氏、牧野氏、辻ハツ氏、竹須氏、葛生氏(生麦)、岡本氏。

手紙下されし方

幾尾純、迫江芙由乃、林喜代子、朝比奈隆、平野主水、斎藤三郎、石崎生、北村光太郎、富田川弥五郎、牧野正国、長橋八重子、山田清彦、木村利子、堀重太、関豊、原田彦四郎、中島秀雄、川崎源吾、元泉戚、黄鏡心、桃井生子、園田清秀、元泉信子、犬井英夫、森田虎次郎、磯江清、佐藤政一、田中哲之助、篠本二郎、増井九三郎、多久隋、澤崎秋、田村寛貞、藤村春男、志賀利孝、井口ミエ、野村八良、元泉ミヨ、副島義三、中西義一、小川トミ、伏島孔次、高木定吉、池田メーブル、北見又八、菊池盛太郎、外狩伸七、中村鹿之助、竹下益三、森乙、辻和敬、小玉、時澤儀三郎、山田清次、春日嘉藤治、田島祐雲、瀬野作平、内田角蔵、安藤喜八、今村有、榎本栄次郎、内田久太郎、阿部銀次郎、吉川重信、赤山修三。

 

朝比奈隆!長兄敬一が東京高等学校唱歌の教員だったので、何か関係があるのでは?と思っていましたが、やはり関係があったようです。

https://mettorchestra.web.fc2.com/pdf/kaisou.pdf

園田清秀。ピアニスト園田高広の父。絶対音感教育を日本で初めて行った人として知られています。田中規矩士の門下生だったかもしれません。

澤崎秋。のちに井口基成と結婚をして、井口秋子として活躍。戦後東京藝術大学教授として知られました。この方も田中規矩士の門下生であったかもしれません。