田中三郎の日記

大正12年から13年の日記。横浜における関東大震災そして東京移住・東京音楽学校・大正時代の市井の人々の生活。

35.大正12年12月22日から24日まで。共益商社よりピアノが来る。ベートーヴェントリオの高階氏ドタキャン騒動(-_-)

12月22日(土)雨曇り

朝、山川氏、音楽会の切符(2枚)をとりに来る。副島、露木氏ピアノ稽古をなす。副島氏歳暮に砂糖を下さる。本日は音楽学校の学友会音楽会にて規矩士兄は10時ごろ出校す。

共益商社よりピアノ、椅子来たる。2時頃本牧のおじさん訪れる。白みそ、茶のみ(多分)、茶碗2個を下さる。それに母に喘息のまじないを寄せらる。敬一兄は高等学校休みにて終日家にいる。夜、父と2人にて竹須方の湯に行く。柚子湯であった。竹須龍之助氏に音楽会の切符をあげる。」

 

共益商社よりピアノが来たようです。横浜の西川楽器のピアノもあるので、田中家には2台のピアノがあるようになりました。

12月18日の富永氏が来訪したのは、ピアノ搬入の件だったようです。このピアノは購入されたのか、レンタルなのかはわかりません。

 

「12月23日(日)晴

朝、山王に切れた電球を取り換えに行く。竹須方より袴の寄送あり。余に大変に適す。大久保の岡氏3人来たる。この中の付き添い人も稽古をなす。父は大森駅にて竹須龍之助氏と会い音楽会に行く。規矩士兄は10時半ごろ出校す。午後相生町のおじさん、時澤(妹)訪問さる。時澤氏はピアノを買いたき由。おじさんに親子丼を取る。竹須さんに古煙突(岩田氏より貰いしもの)を希望によりあげる。

敬一兄は高等学校に借りた毛布を戻しに行く。帰りに日本史(表解)、続バッハよりシェーンベルヒ、音楽日記抄、泰西の歌曲と其作家、ポケット英辞書、草書字典は古本を買い来たる。夜食はどら焼き。夜、竹須さん来たる。10時ごろ帰る。

本日は高階氏、欠席につきトリオは中止となり、規矩士兄はがっかりする。高階氏は自動車にて上野音楽学校と報知新聞の音楽会とをかけもちすべくありし所、故障自動車に生じ、遂に音楽学校における演奏は中止の由。なおまた竹須龍之助氏は非常に喜べる由。規矩士兄は報知社の音楽会を聞く。

『続バッハよりシェーンベルヒ』はこれです。国会図書館で公開されています。

https://dl.ndl.go.jp/pid/954854/1/2

さて、もう一つ大きな話題。例のベートーヴェントリオの話です。

tanakairoonpu.hatenablog.jp

 

なんとこの演奏会ですが、ドタキャンとなってしまったと三郎氏は書いています。本当ですか?三郎氏の日記にはこの演奏会のプログラムの写しが掲載されていて、開演時間は午後1時とあります。そして報知講堂の演奏会のプログラムも写しが掲載されています。山田耕筰指揮で、山田耕筰自作も演奏されたようですね。

同じ23日の午後6時開演とあります。

 

 

ヴァイオリンの高階氏東京音楽学校の演奏会に出演して、報知講堂に行く予定だったのでしょうか?この当時報知講堂は有楽町にあったようです。上野の東京音楽学校と有楽町はGoogleマップで直線距離で5.5kmと出ました。

高階氏の家は赤坂だったようです。

【音楽年鑑 : 楽壇名士録 昭和4年版 楽報社編  竹中書店  昭和3年

https://dl.ndl.go.jp/pid/1127174/1/44

 

つまり高階氏は赤坂の自宅を自動車で出て東京音楽学校の演奏会に出演して、夜、報知講堂にての演奏会に出演予定だったのか?

ところが自動車が壊れてしまって、東京音楽学校の演奏会に間に合わなくなってしまった?いやはやです。なんとものどかな時代ですね。(今なら速攻で炎上ですよー!)

そして夜、規矩士は報知講堂の演奏会を聴きに行ったようです。

三郎氏が書き写した秋季大演奏会のプログラムには12月22日と23日の両日の演奏会と書いてありますが、『東京芸術大学百年史』の記載では12月23日のみとなっています。どちらが本当かはわかりません。三郎氏も細かい写しミスはあります。

 

 

12月24日(月)晴

敬一兄の月島小学校は今日にて終業の由。規矩士兄は共益商社及び酒井氏方に行く。午前中竹須龍之助稽古に来る。昼1時過ぎ地震あり。本日飛行機3台を見える。歳暮らしい寒い気候となった。