田中三郎の日記

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150.あとがき1.

2023年2月17日より書き綴ってきた三郎さんの日記はこれで終わりです。

この間、中の人は三郎さんの日記と一緒に暮らしました。

とっても楽しかったです。

この日記はあの関東大震災から始まりました。被災地の悲惨な状況。胸に迫りました。その中で線路を歩いて横浜から大井町まで行きました。暑かったでしょう。本当に大変でしたね。ちょうど今から100年前の話でした。

やっと大井町に落ち着き、新生活が始まりました。

あくる大正13年1月には三郎さんは「東京高等師範学校」を受験。寒い日でした。三郎さんは「場に入って後も足が冷たいのは非常に困った。」と書きました。三郎さんに「ホカロン」をお届けしたいと思いました。

残念なことにこの入学試験は「サクラチル」になってしまいました。

同じ1月には関東大震災の最大余震「丹沢地震」もありました。明け方6時少し前。大きな地震でした。ウィキペディアの情報では東京は震度4。それでもあの関東大震災のすぐ後です。とても怖い想いをされたと思います。私たちも東日本大震災のあと余震がなかなか収まらなくて、怖い想いをしました。きっと同じような感じだったかな?いや、私は焼け出されてないので、三郎さんの方がもっと恐ろしく感じていたかと思います。

そしてそのすぐ後、今度は敬一兄が病気です。敬一兄は前の年の11月にも病気をしました。盲腸炎という診断でしたが、とりあえず快癒。ところが1月にまたです。三郎さんの必死の看病が始まりました。読んでいる私もハラハラです。三郎さんと一緒に心配しました。敬一兄が快癒したので、私もホッとしました。

2月9日、規矩士兄が東京音楽学校の演奏会に出演しました。前日、三郎さんは兄のために靴を「猛烈に磨いた」そうです。いいなあ。三郎さん優しいなあ。田中家の兄弟愛にほっこりしました。

3月には新しいピアノ、ベヒシュタインピアノがやってきました。三郎さんの文章からもなんとなく一家の高揚感が伝わってきます。規矩士兄は早速にして新しいピアノで練習です!

3月末、三郎さんは今度は「青山学院」の入学試験を受験しますが、こちらも「サクラチル」となってしまい、予備校通いを始めました。

三郎さんは園芸もするみたいです。横浜の家にあった月桂樹をわざわざ持ってきました。それを新しい大井町の家に植えましたが、寒さで枯れてしまいました。がっかりです。しかし5月にまた芽を吹きだしました。そしてコスモスを植えたりもしています。

この時代の男性では珍しく、三郎さんは台所に出入りしているようです。天丼やスイートカレーを自作したようです。田中家は男所帯なので、気軽に台所に出入り出来たのかもしれません。

三郎さんは散歩も大好き。一日30㎞歩き通したりしています。

軍楽隊も好き。よく日比谷公園に軍楽隊を聴きに行っています。

9月、中央大学の別科に編入することになりました。中央大学では学友が増えたようで、同年代の楽しいお付き合いも始まりました。

10月31日には高尾山に遠足にも行きました。三郎さん楽しかったですね!

『受験と学生』という雑誌に「東京音楽学校紹介」という投稿もしました。三郎さんにとって自慢の兄たちが関係する東京音楽学校。きっと得意になって筆を走らせたかとほほえましく思いました。

規矩士兄と一緒にモジューヒンのリサイタルにも行きました。

100年前の大正時代の東京での暮らし。当時の常識は今とは全く違う。現代から見ると異世界のようです。その中でも変わらぬものもあり、懐かしいやらビックリするやら。

まるで「田中三郎」のブログを毎日読んでいるような気分でした。(続く)