田中三郎の日記

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165.『それは丘の上から始まった』を読む―田中三郎の日記と照らし合わせて。8。大正12年9月3日中国人?が殺されるのを見る。2

(2023年10月17日投稿)

支那人(中国人)と思われる人を襲っていたのは、魚河岸連と在郷軍人と書いてあります。魚河岸というのは魚市場のことですが、大雑把に考えて「日本人労働者」だったかもしれません。

この『それは丘の上から始まった』に書いてあることから察するに、普段から鬱憤が溜まっていた日本人労働者が、その辺にいた(時期的にひょっとして大島町三河島を目指していた中国人労働者だったかもしれず)中国人労働者を殺害してしまった?

9月3日、同じ東神奈川駅付近の神明町という所で、中国人労働者が襲われているそうです。(188ページ)

この神明町は各国の労働者が多く住んでいたようです。189ページには具体的な例が書かれています。三郎氏の記述がどれかに当てはまるのか考えてみましたが、残念ながら当てはまらないようです。しかし本に書かれている以外にも同じような虐殺事件があったのかもしれません。

三郎氏の日記の人物は、ピストルを持っていますね。不穏な空気の中、護身用に何かでピストルを手に入れたのかもしれません。

三郎氏は「鮮人を追っていた支那人かも」と書いています。この時点で三郎氏は「不逞の輩は朝鮮人であって支那人(中国人)ではない」という認識があったということです。

教育家の家庭に育ち、旧制中学校卒業者の三郎氏は労働者ではありません。知識階級の出身とみなして良いと思います。

なので三郎氏にとって「中国人労働者に仕事を奪われる云々」とかいう認識はないと思います。しかし朝鮮人=危ないという考えはあったようです。それが「実に可哀想なことである」という文言に繋がるのかと思います。

(この投稿は中国人を支那人朝鮮半島出身者を朝鮮人もしくは鮮人と書いています。元の日記などにあった文言をそのまま書きました。差別を助長するものではありません)