田中三郎の日記

大正12年から13年の日記。横浜における関東大震災そして東京移住・東京音楽学校・大正時代の市井の人々の生活。

109.大正13年7月15日から7月17日。省電にて。東京の中野の日本音楽協会にて敬一兄が講義を持ちます。

7月15日(火)曇りにわか雨

父は背中や首元のおできが治らぬので、麹町の土井博士に見てもらいに行く。規矩士兄は添人として行く。場所は時澤氏に尋ねる。博士の宅診は火、木、土の由。初診は10円。午後より診察との時澤氏の話にて、10時ごろ家を出たが、行ってみると9時より正午までとのことにて、急いで診察してもらったと。色々な薬をつける。3時ごろ帰宅す。

本日は珍しく3,4回にわか雨があって、土砂降りに降った。余が正則より帰る時も、大森駅で遭い、しばらく待った。

夜、井口、伏島姉弟氏等来たる。井口氏、砂糖をくださる。しるこを作る。湯に入る。受験と学生8月号を買う。

長らく雨が降らないので、往来はほこりだらけとなり、井戸も乾く所もあるようになったが、今日の降雨でやっと解決した。

 

7月16日(水)曇り一時少雨

規矩士兄は武高に今学期進度表を持っていく。

父は背に薬をつけるのだが、薬が多種あるので困る。

本日特種回数券(大森―有楽町間10回券3円75銭)を買う。ただし2等車である。これは父が医者に行く件に使うのである。

夕方4時半ごろ一人で大佛に散歩。湯に入る。もう蝉が鳴き始めた。殊に夕方、ヒグラシが「カナカナ」と鳴くのは気持ちが良い。

夜、規矩士兄は散歩。

敬一兄は唱歌教員会が番町小学校にあったので、遅く帰宅す。湯に入る。

 

7月17日(木)曇り時々晴

朝、父が医者のところに行くので、余は有楽町駅まで送る。日比谷公園前にて別れる。父は新宿行電車に乗り、麹町3丁目にて降りる。余はそれより正則に行く。

午後、露木、時澤(妹)田崎、内藤(午前中)稽古に来たる。湯に入る。

余の留守中、吉川君来訪されし由。

 

大森駅を発車した時、一老人はバスケットを持ったまま飛び降りんとした。乗客はあわてて老人を止めて車内に引き入れた。老人はこれに対して不平を唱えた。乗客の中の一職人は怒って、老人に怒鳴った。

職人「電車の動いている時、降りれば怪我をするぞ」

老人「そんなことはわかっている」

職人「わかっているなら、何故降りようとするのだ」

老人「この駅で降りぬと時間がかかるから」

職人「電車の動いている時、降りれば怪我をするぞ」

老人「そんなことはわかっている」

.........。

と数回反復した。これには一同笑わざるを得なかった。やがて大井駅に着いて老人はやっと落ち着き、

「ここで降りて良いですか?」

職人「勝手にしやがれ。人が折角親切にしてやるのに!この馬鹿おやじめ」

大井駅にて車掌が老人を諭した。車内より「おやじ、歳いくつだ」「あんなおやじがいるから、時々電車にしめられるのだ」「馬鹿おやじめ」と。

あいにく車掌がいなかったので、ごたごたした。老人はつつしむべきことだ(省電にて)

正則、一時時間割変更す。19日論孟抄、21日十六夜日記なり。

いよいよ8月1日より12日まで中野の日本音楽協会にて、第22回音楽夏期講習会が開かれる。敬一兄も出講を頼まれる。左にその要項を抜粋する。

一、講習科及び講師

和声学科  女子音楽学校校長 山田源一郎

      東京高等学校講師 田中敬

声楽科            大和田愛羅

 

一、講習時間  和声学 (午前10時から12時まで)

用書 和声学科 田中氏和声学 福井氏和声学」

 

中野の日本音楽協会

国会図書館サーチにある音楽年鑑大正14年版によると、日本音楽協会は女子音楽学校内。東京市中野町打越2021番地。(ログインすると見られます)村越とありますが、打越の間違いです。

dl.ndl.go.jp

今の東京都中野区中野5丁目付近。このサイトの地図に「日本音楽」と書かれた学校があります。これが女子音楽学校なのでしょう。今はどの辺でしょうか?中野区立打越保育園付近?と思っています。

http://egotadp.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2018/02/18/higashinakanokushu.jpg

元ネタ

egotadp.cocolog-nifty.com