田中三郎の日記

大正12年から13年の日記。横浜における関東大震災そして東京移住・東京音楽学校・大正時代の市井の人々の生活。

110.大正13年7月18日から7月21日。中谷氏が調律に来る。

7月18日(金)晴

午後、中谷氏(調律師)ピアノ調律に来たる。親子丼、サイダーを馳走す。夜、洋服屋、敬一兄の上着(カシミヤ)の仮縫いを持って来たる。湯に入る。隣の後藤氏の息子、安全組合の報告書を持って来たる。湯に入る。隣の後藤氏の息子、安全組合の報告書を持って来たる。第一区の副組長は後藤氏となる由。竹須さんは道路に関する役員となる。敬一兄、現代童謡講話、童謡の作り方を買ってくる。夜、規矩士兄、敬一兄、竹須方に遊びに行く。その時葡萄酒をあげる。

「同じ正則の講習会の先生にも面白い人とつまらぬ人とある。史記抄、文章規範を教える人は、頭は禿げてあるが、講義が早く汽車の如く。国文を受け持つ先生は、やはり頭は前者と同じく。講釈は一番愉快だ。論孟抄の人は先生そのものが眠そうだ。だから生徒一同グーグー」

 

7月19日(土)

月島校は本日終業式の由。父は8時ごろ医者に行く。木村、朝比奈、大谷、岡、西宗、小倉、露木、時澤(妹)、鳥井氏など来たる。鳥井、岡、西宗、朝比奈氏、中元下さる。豊増氏は少し指を怪我せるとのことにて、断りに来たる。なお一週間帰国すると。本日は鹿嶋神社の例祭だ。夜、規矩士兄、父、敬一兄、水神下に散歩。湯に入る。木村氏より付け薬をくださる。今夜は両国の川開きだ。

 

7月20日(日)晴

午前中、余は散歩。旧芝離宮庭園に行く。それより増上寺芝公園に向かう。また、芝の水泳場を外より覗く。規矩士兄は木村氏のピアノの件で、横浜の西川楽器店に行く。あいにくピアノは売り切れなりしと。敬一兄は月島校水泳監督。余は夕方、大佛散歩。夜、敬一兄、規矩士兄散歩。父母も近所散歩す。湯に入る。珍しく家の裏に蛍が見えた。」

三郎氏の挿絵

(90度というのは摂氏ではなく華氏のことでしょう。風邪をひいて暑い電車に乗れば治ると暴論を吐いています。(苦笑)華氏90度とは摂氏32度くらいらしいです。この当時の電車には冷房ないですね。苦しい~。

そして体調不良の時には電車に乗ったら世間の迷惑ですよね!せめて不織布マスクして!)←これもコロナ禍で変わった習慣ですね。

 

そしてやはり横浜の日本楽器のことを「西川楽器」と言っています。田中家ではそういう習慣だったのでしょう。

木村さんのピアノの件であちこちの楽器店に行っているようです。震災があってピアノが焼けてしまったのかもしれません。ピアノが品薄のようですね。

 

7月21日(月)晴

朝、規矩士兄2人にて大佛を散歩す。敬一兄は水泳監督に月島に行く。帰りに諸澤氏(画の先生)と中野の牧野方に寄りしため、夜12時ごろ帰宅す。

正則の国語の先生、急用にて国に帰りしにより、代わりの教師、平家物語等の講義をする。

午前中、父、規矩士兄は退隠料の件で横浜に行く。県庁は岡野町に引っ越しせる由。

留守中(正午頃)神戸に避難せる井口氏、及び夫人(旧ピアノ弟子)子ども2人来訪さる。井口氏は昨日、欧米より帰朝し、夫人等はそれを迎えに出濵せると。玉すだれ、パインアップル、バンドのびせう(中の人注:何だろう?バックルのこと?)を土産に下さる。また、秋ごろには横浜に来るかもしれぬと。

神奈川の林氏(旧ヴァイオリン弟子)フェリス女学校の絵葉書1組、送り来たる。また、東高の生徒の父、敬一兄に靴下を小包にて送り来たる。

夕方、余は大佛、伊藤公墓地を散歩す。湯に入る。

夜、竹須方よりいなり寿司を下さる。夕食後、規矩士兄と2人して散歩。大森美原海岸に行く。もはや東京さざなみ、かもめ海水浴場と海岸に列をなして浴場が並んだ。中にはのう京演劇(中の人注:何だろう?)をやっている所もある。水神下に廻りて帰る。夜、洋服屋かみさん来たる。