田中三郎の日記

大正12年から13年の日記。横浜における関東大震災そして東京移住・東京音楽学校・大正時代の市井の人々の生活。

108. 大正13年7月12日から7月14日。松方公の国葬。お中元の季節。田中家では7月盆。

7月12日(土)曇り

本日は松方公の国葬にて正則は休み。小学校は式がある由。

豊増、伏島、副島、朝比奈氏稽古に来たる。副島氏より砂糖を下さる。また、市川氏は和歌山に帰省せると。女中、中元にハンケチーフ(ハンカチ)を持って来たる。

規矩士兄は竹須虎之助氏を見舞いに行く。その際、サイダー2本をあげる。

午後、北見のぶ氏及び敏ちゃん来訪さる。のぶ氏頗る太る。16貫くらいある由。親子丼を馳走す。中元としてハンカチ、ビスケットを下さる。帰りに金子の山川勇木方によるとのことにて、余及び父が道案内に行く。

山川方にて長男の捨次郎氏に会う。氏は4年間ロンドンにあり、近日前、帰朝せしと。それより山王通りに出て駅まで送る。ちょうど6時半ごろであった。

家に帰りて、山王に電球を取り換えに行く。夜、父母散歩に出る。湯に入る。

 

7月13日(日)晴

朝、規矩士兄は貫名先生の息子死去により、その悔やみに青山原宿に行く。

敬一兄は墓地詣り及び五反田の小山先生宅に中元物を持って行く。

大森の田崎氏、及び宮村洋服店より、亀屋の切手、砂糖をそれぞれいただく。また、竹須方より麦わら茣蓙をくださる。

余は東京に散歩に行かんとして駅まで出たが、暑いので帰った。

午後、余は渡辺医院に中元物(ハンカチ1ダース)を持って行く。(?)がに医院自製の「あせも止め」をもらう。共益商社より敬一兄に切手(30円)、また鶴見の大谷氏より規矩士兄に切手(5円)を送り来たる。本日は盂蘭盆なので、仏壇を飾る。夜食は冷や麦。湯に入る。

夜、敬一、規矩士兄は銀ブラ父母は近所に散歩に出る。

 

7月14日(月)晴

朝2時ごろ3回小微震あり。

竹須さん腸チフスの無料診断料の案内を配布に来たる。場所は出石の聖マリア医院にて、8時より正午までと。

東京日日新聞の朝刊小説、陸の人魚は本日にて終わり、明日よりは陥没と題するもの。

正則の帰りに改正新編論孟抄を買う。

横浜の西川楽器店より規矩士兄に三越切手10円券を届けに来たる。仏様のお守り物に餅菓子を買う。

分教場生徒、(?)氏より規矩士兄に靴下を送り来たる。

夕方、規矩士兄と2人にて大佛に散歩。夜は父、敬一、規矩士兄は大森に行く。湯に入る。

「暑い日中にもさかんに砂利とセメントを混ぜて機械にて高くつるし上げ、それより管状棒土流し入れ、地上に落として土台う作っている。なかなかの大工事だ。かくの如くしてなれる大建物も、震災にあってはなんのその。神田駅近くにて」

(三郎さんが書いた挿絵)

 

お中元の季節です。最近では国家公務員や大企業での「贈答禁止」という流れからかお中元、お歳暮の習慣もすたれ気味と感じています。

しかしこの時代はおおらかなもの。いろいろとお中元を贈り合っています。

「ハンカチ」というのが面白いですね。そういえばたなかすみこは贈答品によくハンカチを使っていらした思い出があります。

「ビスケット」「砂糖」というのも時代を感じます。

「○○店の切手」というのは商品券のことでしょうか?

7月にお盆をやるのは、日本全国でも東京と神奈川だけだそうです。

田中家では7月にお盆をしていますね。