田中三郎の日記

大正12年から13年の日記。横浜における関東大震災そして東京移住・東京音楽学校・大正時代の市井の人々の生活。

145.大正13年12月18日から12月20日まで。東高の成績表。お歳暮の季節。豊増昇レッスンに復帰。

12月18日(木)晴

敬一兄、日中しばらく起きている。夕方、相生町の角蔵氏来訪。明日、杉田の葬式に出席するとのことで、香料(5円)をついでに届けてもらう。露木氏、「受験と学生」を返す。

12月19日(金)晴

夕方竹須おばさん来たり。稲荷寿司をくださる。虎之助氏も風邪で寝ている由。6時ごろ、相生町の角蔵氏来訪。初七日の菓子を届けてくださる。葬式は11時よりとのことであったが、2時になった由。角蔵氏に夕飯を馳走す。夜、湯に入る。

12月20日(土)晴

本日統計学休講なり。共益商社売店より、敬一兄に切手(三越5円券)とポスターとカレンダーを持って来たる。また鳥井氏よりハンカチ、時澤氏より三越商品切手10円券、黒澤氏より不二家洋菓子及び吾家之歴史を歳暮としてくださる。また豊島靴店(大井第一小学校前)よりカレンダーをくれる。永らく手を負傷して稽古を休んでいた豊増氏、本日より稽古を始める。敬一兄ますます良く、夜は刺身を食す。余の腕時計が修繕さる。

今日、朝、神田にて敬一兄に頼まれた「試験成績表」入り手紙を書留(13銭)にて東高に発送す。夜、湯に入る。」

 

敬一兄の風邪がだいぶよくなりましたが、東高はお休みをしたようです。成績表を三郎氏が書留で送りました。

そして年末です。お歳暮の時期となりました。

怪我をして休んでいた豊増昇がレッスンに復帰しました。

 

さて、前年の1923年(大正12年)12月のこのころは、オーケストラ演奏会や、演奏会のダブルヘッダーがあって大変に慌ただしかったのですが、この年は静かです。

この年、1924年大正13年)は、11月末から12月の「第九公式初演」と「ジンバリストの演奏会」で大賑わいだったので、この時期は音楽界は疲れ果てた感があります。

前年の様子。12月15日は東京音楽学校にてクローン教授指揮のオーケストラ演奏会がありました。

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12月23日は東京音楽学校の演奏会と、山田耕筰指揮、日本交響管弦楽団のクリスマスコンサートとダブルヘッダーでした。

ベートーヴェントリオ」はドタキャンになってしまって、規矩士兄はがっかりしましたね。

 

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(12月21日が長いので、投稿145は短めです)