田中三郎の日記

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146.大正13年12月21日 久しぶりに横浜へ。親戚を訪ねる。

12月21日(日)晴

9時半に余は家を出て、横浜本牧に向かう。横浜駅まで往復57銭である。

一年ばかり横浜方面に行ったことがないので、だいぶ変わった。横浜駅はほとんど内部の修繕が出来て、昔の様になった。駅前も整理が出来て、以前の横浜を思い出した。市内電車もしゃれた東京の市内電車の様な入口のある車体となった。駅前より市電(往復13銭)に乗る。

御所山の方は、震災当時のままに淋しい。しかし掃部山の方は立派な二階建ての家が並んでいた。馬車道通りは両側に提灯をぶら下げて賑やかにしていたが、東京に比べるとなんとなく淋しい。元町方面は復興が奮わぬ。箕輪下で下車す。

北見方は停車場の側であるが、敏郎さんの土産に菓子を買うため、付近をさまよう。キャラメル3個を買う。北見方に入ったのはちょうど11時であった。敏ちゃんは少し風邪気味で、吸水機をかけていた。叔母さんもあいにく昨日から神経痛で床についていた。のぶちゃんと叔父さんと会う。歳暮を出す。なお又、宇田川こと市のおめでたのお祝いを(三越切手)あげ、届けてもらう。こと氏は来年、東京に御婚に行く由。叔父さんは家のすぐ裏に家を建てたい希望にて思案中の由。親子丼をご馳走になる。

中食後、叔父さんと2人で喘息のおまじないを北方に取りに行く。加持祈禱料1円を出す。このおまじないは、母が叔父さんに頼んであったもの。まじないとは左図。叔父さんはなお又、松本の叔父さんの分も頼まれていたので、それを田舎に届けるのである。

余も叔父さんと一緒に田舎に行くこととする。鉄砲場より弘明寺行きに乗る。弘明寺より乗合自動車にて松本まで走らす。途中の運賃は全部叔父さんが出した。今度役場の近くに監獄が出来るので、毎日囚人が働いていると。敷地もよほど大きい様だ。

松本に着いたのは2時頃。松本の叔父さんだけいた。相生町の角蔵氏もいた。氏は茶を売りに来ていたと。しばらく休んでいる。それより3人にて帰途につく。

丁度大通りに出た時、乗合自動車が来た。しかも空車だ。非常に好都合であった。また、叔父さんが車賃を払った。帰りに相生町に寄る。相生町でも親子丼をご馳走になる。三十目の茶1円を買う。叔母さんは未だ口が思うようにきけぬ。相生町は以前より立派になった。馬車道で電車に乗る。家に帰ったのは7時であった。北見方では土産に菓子をいただく。北見のぶ氏に礼状を出す。

敬一兄は午後より起き、原稿を書く。26日より10日間女子音楽学校の冬期講習会に出講すると。規矩士兄は多摩川方面に散歩。竹須方に砂糖を歳暮にあげる。虎之助氏も全快した由。本牧の叔父さんは、今年でキリンピール会社を退く。勤続33年。」

 

三郎氏は久しぶりに横浜に行ったようです。日記には1年ぶりと書いてありますが、実際には5月6日に行っているので、約半年ぶりでしょう。

tanakakeiichisaburou.hatenablog.com

以前の家のあった御所山は未だ復興が遅れて淋しいようです。しかし他の街はだいぶ復興してきたようです。

今回の横浜行きは年末でもあるので、お歳暮を届けに親戚を訪ねたようです。いろいろな親戚を訪ねています。

弘明寺の監獄とはこのことかもしれません。

hamarepo.com

そして下の画像が「喘息のおまじない」のお札です。